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クリシェ

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アメリカで 『友人』 は・・・チラホラ😉・・・・います。 でも、日本にいる私の 『友人たち』 とは全く違うレベルです。 別に、ランク付けしてるわけではないんですよ。 アメリカ人だからとか (サトレラパパはアメリカ人ですしね😀) 、日本人じゃないからとかじゃないです。 日本人が良ければ、南オレゴン日本人会みたいなのもあるからその会員になればいいですが、私は入っていません。入会する意思もありません。 前にも書いた記憶がありますが、中学の英語の先生が、 アメリカ人 と ドイツ人 を挙げて、気質の話をしていました。 ドイツ人は、外側は固くて、打ち解けるのに時間がかかるが、一度その壁が壊れると心に触れるのが易しくなる。アメリカ人は、 とても人当たりがよく、初対面でも昔からの友人のように振舞うが、心の中に入るのはとっても難しい。 何か、それがとても印象に残っていたのですが、アメリカに来てそれが実証された気がしました。 日本にも口先美人はいますが、 アメリカ人 ってまさにそれ! 病院とかお店とか行くと、み~んな前から知ってる人のように、笑顔で話してきます。 すごく親しいように、相手が、 『今度一緒に食事😋に行きましょう』 とか、 『今度、〇〇をお見せしましょう』 とか言ってきても 『今度』 が実現したことはほとんどありません。 何回もそれを経験すると、ひねくれてるわけじゃないんだけど またか・・😕 リップサービスね? 🗢 ってなります。 シーザー・ミランが、オンラインセミナーで、一緒に働く人探し、友人になる人の彼の基本の哲学を話してました。 Agreement(共感) Commitment(約束) Follow-through(遂行) だと言ってました。犬の問題行動のリハビリ,トレーニングでも、一番大切なのは、最後の 『Follow-throgh』 なんです。 ドッグトレーニング  多くの飼い主たちは、犬が望ましくない行動に出た時に、大声で名前を呼び、いけないと叱ったりしますが、犬がそれにびっくりして一瞬ひるんだら、それで良しとしてしまうので、 犬は自分がした事の何が悪かったのかをわからない ままでいるわけです。だから、同じ間違いをすぐに繰り返してしまうんです。 どのよ

健全な家庭で育っていない子供たち

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アメリカに住んで、気づかされる事、考えさせられる事、 色々あります。 今まで少なくとも私にとっては映画🎥の世界や小説🕮の世界だったものが身近なものになってる、って事です。( 今の、世界情勢もその一つかもしれませんが ) オレゴン州は画期的と言うのか、なんと言うのか、数年前に 大麻栽培 ・・・日本語で『大麻』って言うとなんかネガティブなイメージなので、マリファナ・・と呼びますが( 変わらないか 😅)、 マリファナ栽培 が合法化され、ごく普通に手に入るようになってるし、自分の家でも栽培できる。( 私は煙が苦手なので、吸ったことはありませんし、大体、興味ないのでマリファナ入りのチョコレートやグミも食べた事はありません。 ) 今年には、サイケデリックキノコ🍄が合法化されるかも、と言う話もあります。 それから,マリファナに次いで 銃 なんてまさにTVと映画の中の事だったのに、身近の存在になりました。ま、ここらは大型の野生動物🐻🐺🐱がいるので、自己防衛の為に銃を持たなくちゃいけないのは理解出来ないわけではないけれど・・・😯 それから、それから 尊厳死 も認可されてるし、 でも、消費税がない・・・ は、あまりインパクトないですか? でも、やっぱり画期的な州ですかね?😁 話をタイトルの内容に戻すとして・・・。 アメリカは多民族の集まりで出来た国だから、慣習、宗教の違い、価値観の違い等々ありますが、それを超えてるんじゃないかと思うのが、子供の人身売買、親(主に男親)によるレイプが横行しているらしいこと。サトレラパパは日本でもあるはずだと言っているけれど私の周りでは、そんな話を聞いたことがなかったからわかりません。 ここに暮らして8年。そう言う実体験をした人たち、関わっている人たちが結構身近にいるらしい、と言うのを知って、会話に気を遣うことあります。 以前、ここでも書きました 【自己愛性人格障害】 (以下 NPD )。 意外とこのタイプの人がアメリカに多いように感じるのです。 「そう言う人が友人の中、自分の周りにいたら付き合わずに、ただ立ち去ればいい。」 と言うのが実体験をしたカウンセラーの人たちの話ですが、家族にそう言う人がいるとそれはとても難しい決断になります。 ましてや、それが親だと

薄れゆく影

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レイラがいなくなって4日目。 レイラが使っていたケージとマットをしまいました。 今はこの場所にはターニャのケージが置いてあります。 レイラに最期の時を迎えるまでの段階があるように、人の心も段階を追って癒されていくんだな、と実感しながら自分の心と向かい合っています。 心友は、 「泣いていいんだよ。」 と言ってくれたけれど、不思議とそんな感じじゃないんですよね。 なんでかな? 火葬場へレイラを置いてきた日は、家に入るのが辛かった(サトレラパパが模様替えをしてくれるまで)。 その後、家に出入りする時、台所に立ってる時、中庭から外庭へ通ずるドアを開け閉めする時(レイラが外庭へ出ないように気を付けていた)、 『習慣化された行動』 が無意識に出ている自分に気づいたわけです。 そして、4日目の今日は、まだ時折そんな状況下でふとレイラの影を見ているけれど、明らかに段々遠のいて行っているのを感じます。 こんな風にここにいたレイラの影がぼけていくんだと・・・ でも、それはレイラを忘れていっているのではなく、習慣化した行動がなくなっていくだけの事であって、今度はレイラと作った思い出の中に自分が入っていく感覚を覚えるのです。 実は、これが一番辛い時期かもしれないと感じています。 親や叔父伯母が亡くなった時、親しい友人が亡くなった時、勿論その事はすごく悲しいけれど、一緒に作った思い出の中に自分がはまった時がもっと悲しくて、切ないです。 あの時は、ああだった、 とか あんな風にしてくれたっけ とか 一緒にあんなとこ行ったっけ という風に、噴水のごとくに思い出が湧き上がってくるような気がします。 ここ2,3日、キャスが私について回るのを見て、サトレラパパに 自分で大丈夫な振りしていても、キャスには感じるんだよ。 と、言われましたが、正直、そう言われると自分でもよくわかりません😞 K9ゲーム参加 前にも言ったかもしれませんが、レイラは小型犬で、手がかかる部分が結構ありましたし、色々なアクティビティにも参加し、渡米前には、昔住んでいた広島まで一緒に行ったり、サトリとサトレラパパが先に渡米した後は、私のビザがおりるまで、予想以上の長期間、レイラと二人きりの生活をしていたわけで、写真の整理をしていると、考えてた以上のレイラと一緒に過ごした時間の長さにびっくりします。 写真の整理がすんだら、来年の1周忌

自己認識の夜明け 其の参

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『スクリプト』 と言うアイルランドのバンド知ってますか? 今年の1月に発表された曲、 <Run Through Walls> を紹介したいと思います。 Run Through Walls 【歌詞和訳】 目に見える超能力なんてないのに キッチンに座りこんで何時間も話していると 君はいつも完璧なタイミングに現れるんだ X線の目を持って生まれる人は誰もいない 僕が何を思ってるかを知る方法はない でも、君はいつも僕の命を救う言葉を言ってくれる * 自分には駆け付けてくれる友だちがいる 一度電話すると飛んで来てくれる友だちがいる どこにも行き場所がなくて 自分にヒーローが必要になると 駆けつけてくれる友だちがいる * 君は超人ではないかもしれない でも、君は困難を乗り越えさせてくれる強さを持ってます 私が気弱になっている時の鋼鉄の盾です そう君はそんな存在です そして、母が亡くなったあの日 君は私を抱え上げて、私の涙をぬぐってくれた その瞬間に気付いたのは * 繰り返し* 君はいつも私の幸せを喜んでくれ そして、悲しいと悲しんでくれる 私がムカついていると、私が頭に来ていることを怒ってくれる 自分たちが若い頃からずっと、僕を絶望の底から救ってくれた。 もし僕が空から落ちても、君は私を受け止めてくれるだろう だって、友だちって言うのは愚かなことをさせないんだ 友だちって言うのは愚かなことをさせないんだ 友だちって言うのは愚かなことをさせないんだ 一人でそんな事するなって。 * 繰り返し* どこにも行き場所がなくて 自分にヒーローが必要になると 駆けつけてくれる友だちがいる 駆けつけてくれる友だちがいる ショートメールを送らないで 電話をしてくれる友だちがいる 行き場がなくなって、君を一番必要なとき 駆けつけてくれる友だちがいる これを聴いて(読んで?)みんなが何を感じたか聞いてみたいです。 何も感じなかった。 誰かを思い出した。 切なくなった。 色々な感想があると思います。 私は、 『いい曲だなぁ』 と思いながら、友人たちを思い出していました。 何気なく、そこに書かれていたコメントを読んで、ハッとしました。 日本人のコメントはなかったのです

我慢?辛抱?

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我慢と辛抱 私が連載風につらつら書いている(多分) 『自己認識への夜明けその弐』 を読んだ方が、ブログを通してメールを下さいました。 その方は、 「辛抱はしても我慢はするなと思ってますが、辛抱が出来なくなってきました。」 とおっしゃってました。それを読んで、この方はきっと素直な方なんだろうな、と想像しました。  だって、当時の私は 『辛抱する』 ・・・・より・・・・ 『我慢する』 ・・・・だったから。 じゃ、『辛抱』の方がよくて『我慢』は良くないのか? どちらもこらえているわけですよね。でも、違うんです。 国語が得意な方、言葉に詳しい方は、この言葉の違いを実際に、わかっていると思いますが、私は感覚的にしか捉えてませんでした。 ”我慢してるのに” 我慢 は、物理的・身体的外的要因によって生じる苦痛や葛藤をこらえたものが内面でふつふつと煮えていて、一生懸命に蓋で抑えている感じです。 辛抱 は、同じこらえていてもその先には明るいものを感じるんです。ここを耐えれば・・・、これを乗り越えれば・・・未来は開けてくる・・みたいな。 と、言っても理解してもらえないかと思ってちょっと調べてみました。 『我慢』 とは、 仏の教えにある煩悩の中の一つである『慢』の中にあります。 『慢』とは、他と比べて自らを過剰に評価して自我に捉われ固執し、福徳や悟りを具えていないのにそれらを修得していると思い込む煩悩をいう。(Wikipedia) つまり『我慢』は 思い上がりの強い自己意識から生まれる心 。 「私」 という幻覚が生まれると、自分を標準として他人を判断するようになると言う事です。 だから  『自己認識への夜明けその弐』 の記事の 『バリバリOL時代』 の私は、今思えば、おごった考えでそのスタッフの話を聞いていたのだと思います。 『折角、楽しく食事をしているのだから、その雰囲気を壊さないように取りあえず『我慢』していよう。』 と言う。 当時の自分はそんな事など全く気づいていませんでしたがもし、自己認識が出来ていたなら 「私」 と言うものがくすぶっているのに気づいただろうし、きっと 「そうね。」 と相手を受け入れる言葉をかけていただろうし、 「私があなたの立場だったら・・・」 と言う風に、やんわり切り出して、話を進

自己認識の夜明け 其の弐

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Snapped. 切れる   話し相手が、同じ様な愚痴を繰り返し繰り返し話すのを聞いてるのは、拷問だ!と思う事もあるんじゃないでしょうか? 『自分は結構、我慢強い方だ』 と思って聞いていても段々に、   『もういい加減にしてよ!』   と言いたくなる気持ちが入道雲のようにモクモクと・・・なんて事もありませんか? 人間だから不思議じゃないですよね。 でも、そう思ったとこで違うのは、 『切れてしまう』 のか、それとも辛抱強く、 『早く終わればいいのに。』 と思いながらも最後まで聞いてあげるのか。 私にもありました。『早く終わればいいのに・・・』と思わずに、はじけてしまったこと・・。 『バリバリのOL時代』 に😓 派遣元会社に勤めていた私は、派遣先の会社から、派遣社員の不出来を愚痴られたり、怒られたり・・・。「何で私が怒られるのか」 理不尽な仕事だと思う時もありましたが、仕事ですから仕方ないですよね。その場、その場を上手に切り抜けてました。 派遣社員からも勿論、色々な職場での不都合や、仕事についての不満が出るので、それを双方が上手くいくようにじっくり話を聞きます。 私が担当した派遣社員の人たちを今でも背後にあったストーリーと共に覚えています👩 中でも、印象に深く残っているのが、秘書の仕事で登録してくれた Aさん ・・・・としましょう。 彼女は、高校時代をアメリカへ留学をした経験があって、英語が得意でした。 英語の出来る人を求めていた会社へ何回か派遣したわけですが、どうもいつもそこの上司に反抗的な態度を取るらしく、クレームを頂きました。 彼女と何回か話し合い、私を信頼してくれてか、食事を一緒に取ったこともありました。 その度に気づく事があったんです。 Aさん は、うちの会社の派遣社員になる以前に働いていた所の直属の上司をべた褒めにするんです。 そんなに素晴らしい上司なら何でそこを辞めたのか・・・。 はっきりとした事情は尋ねませんでしたし、彼女も話しませんでした。 結局、最後に紹介したところも契約の途中で辞める事になり、彼女と今後の話をしたのですが、相変わらず以前の上司がどんなに素晴らしく、それを超える上司に巡り合えないと言う愚痴をこぼし始めました。 そこで、わたし・・・。 ずっと我慢して (←ここがポ

自己認識の夜明け 其の1

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Faith in myself 自分自身に信念を持って 長い間、書きたいと思いつつ、どんな風に書いたらいいのかわからなかった題材を何とかまとめて文章にすることが出来そうです。何回かに分けて書いて行こうと思ってます。 読んでるうちに、「そう言えば自分にもこんなことがあったっけ」とか「今まで疑問に感じていたのはこう言う事だったのかも」とか「それはそうじゃなくて、こうなんでは?」なぁんて、そんな気づきがあったら是非、コメントでシェアして下さると嬉しいな、と思います。 さて、それでは、始まり、始まり~🎵😀 私のOL時代は、人と関わる仕事をしていたので、自然の成り行きで色々な人に会いました。 サトリ@昭和記念公園 そして、更に シャイロ・シェパードのサトリ と言う変わった?犬種を連れて歩いていたので、そのサトリを通じてワン友も大勢出来、K9ゲームに参加したり、セラピー犬活動に加わったり、サトリがいなかったら会えなかっただろう方たちと知り合い、犬が人と人を繋ぐそのパワーに感嘆したものです。(サトリ亡き後も新しく繋がってる方います😄) 同じ趣味嗜好を持っている人と縁が出来るのはごく自然の事で、お互い同じものに興味があるので親密度も深くなる可能性は大ですよね。 でも、同じ趣味嗜好でなくてもお互いに理解し合う事は出来ると思ってます。 髪もスカートもちょっと違うけどこんな感じだった。 私がスーツ着て、ハイヒール をはいて 『バリバリのOL時代』 、 私が担当していた会社に年配のインド人 がマネージしている会社がありました。 私は、人材を派遣する立場の人間で、彼は雇用してくれる側でした。 それこそ、人種も年齢も趣味嗜好も全く違うし、派遣した女性に対して、クレームをもらった時には、 どうやって対応しようか色々考えました。 しかも、英語だから自分が言いたい事を上手く伝えられるか・・・とか。 結局、 言い訳がましい事は一切言わず、スタッフの不出来を素直に謝って🙇、相手の質問にもありのままに答えました。 開き直ったわけではないです。 今、起こっている現実を冷静に素直に向かい合えた時、自己弁護の言い訳など考える必要がなくなるのです。 結果はどうなったかって? インド人の社長さんは私の話を黙って聞いていてくれ、聞き終えると、

あなたは『健全な人間関係』築いてますか? 人の心理(3)

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人はその字が示すように、人と寄り添い生きている生き物です。 コミュニケーション能力を持ち、群れるのは、犬族や象も同じですが他の動物と違うのは理性を持ち、複雑な感情を生み出し、表現もします。だからこそ、面白くもあり、また難しくもなりますよね。でも、寄り添った人が 『危険な人』 だったら? 私も、最近そんな人たち の存在を実感してます。 じゃ、 『危険な人』 又は 『有毒な人』 ってどんな人なんだろうと思いますよね。 私がリサーチした資料によれば 『安全でない人』 『健全な人間関係を築けない人』 みたいです。又は、毒を持った人。つまり 『有毒な人』 です。 じゃぁ、 『安全でない人』 『健全な人間関係』 って「なんだ!」ってなりますけど。 私は専門家じゃないし、一口には言えないけれど子供の頃に親を見て学んだり、幼稚園や学校で友人たちから学んだり、そうして人格を、個性を形成して 『健全な人間関係』 を築いていくんじゃないかと・・。色んな人に出会って 『安全でない人』 を知るんじゃないかと。 私の人生においても、思い当たる事結構あります。 でも、ここ1,2年、どうしても理解しがたい出来事があり、多くのカウンセラーや心理療養士の動画を見るようになったら、過去の「何故?」が明らかになって来たんです。 ここからあなたの 『有毒な人』 になり得る人の例をいくつかあげてみます。 1.Aさんは、いつでもにこにこしていて、誰にでも親しく話しかける、いい印象を与える人です。友人が困っていると、惜しみなくサポートもするのです。 画像:wikiHow しかし、ある時から、何かが変わります。 眉を変え、人に対する態度が攻撃的になるのが見え始めます。人の言動を否定的に理解し、それが彼女の思うところに引っかかるとその人に対し、自分が言っていることは正当だとばかり相手を攻撃しはじめ、相手があやまるまでそれが続きます。 2.Bさんは、付き合っている人、Cさんが好きだと言う音楽や映画のテープを作ったり、ビデオをダビングして、プレゼントする優しい人です。Cさんが、ショッピングへ行きたいと言えば一緒に行くし、友人に会いに行くと言えば、車で送ったりもします。 しかし、実はBさんがCさんの友人に会うのは、Cさんがどんな人と親しいのかか知りたいから。Cさんが過去に付き合

あなたの周りにいる人は『安全な人』ですか? 人の心理(2)

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クリスマスイブは、ママスーザン&パパゴードンの家に、サトレラパパのお兄さんとガールフレンド、そしてママスーザンの犬のハーディングトレーニング仲間のマリリンが集まりました。 家族だけでなく、古い友人を交えての集まりはいいですよね。 クリスマスのみならず、大勢の友人たちと飲んだり 、会食したり 、遊びに行ったり ・・。 でも、ある日、楽しいはずなのに何かが変だと感じる。そんな経験ありませんか? 自分が好きな人たちの中にいながら何か居心地の悪さを覚えたり、明らかに自分以外の人たちの間で自分が知らない事が起こっているのに気づいた、とか。 又は、会ってそんなに長い月日がたっているわけではないのに、やたらと自分を褒めてくれたり、嬉しくなるような言葉をくれたり、とか。 男女間の話では、一度振った、又は振られたのに、よりを戻そうとして来る人がいる、とか。 会話中に、自分に話を振って来るが、すぐに会話はその人の話になる、とか。 自分の感情とか都合とか物理的空間を尊重してくれていないと感じる、とか。 そんな人の言動に困惑を覚えたら、要注意して下さい。 その人はもしかしたら、あなたにとって『安全な人』ではないかもしれないからです。 なんで、こんな話をするかって? 元々、学生時代から心理学には興味があって本を読んだりしてましたがある本を読んでるときに、「この人心理学者で本も書いてるのに、何かこの人自身がすごく不安定な人だなぁ」って感じました。 で、もしかしたら、心理学を勉強する人たちの多くが、自分自身、又は家族の問題に直面してそれを理解したいからじゃないか、と言うのに気づいたわけです。と、同時に私は、単に青春時代の自分の気持ちを理解したいだけで読んでいたので、ある程度納得した時点で心理学者たちの本には興味があまり持てなくなりました。 それ以来、多くの年月を経て 今年、渡米して7年目に突入 したわけですが、日本にいたらきっと、見聞き体験エトセトラ・・しなかったろう事、色々あって、その中でも特に人間関係において、日本人と違うアメリカ人の人付き合い、考え方云々の心理をもっと知る必要があると感じたのです。 色んな文献をチェックしているうち、自分が 【ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)】 と言うパーソナリティを持ってるのだと知り、それ