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自分の犬の問題行動誰に相談しよう

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『サトリの森』 をずっと’購読してくださっている方はご存じだと思いますが、 アメリカの獣医団体がなんと言おうと 、 正の強化オンリー(Positive reinforcement training only)のトレーナーがなんと言おうと 、私は基本、シーザー・ミラン流です。簡単に相談が出来るわけでもありませんが🙃 シーザー・ミラン(Cesar Millan) 彼と似た考え方を持つ、 バランスドッグトレーニング トレーナーのメソッドも学ばさせてもらってます。中でも トム・デイヴィス (Tom Davis)のかみ砕いて問題行動犬の飼い主さんに説明するビデオは、エリのリード反応の矯正に有効でした。 トム・デイビス(Tom Davis) シーザーもトムも訓練士の資格を取得してるわけではありませんが、幼い頃から犬と暮らした中て自然に学んだ犬の習性や扱い方を熟知し、飼い主と犬のコミュニケーションが上手くいくように導いてくれています。勉強して頭に知識としていれる方法を学んで、資格を取ったけど実践なし、のペーパードライバーならぬペーパートレーナーとは違います。サトレラパパも同じです。幼い頃から動物と生活をして学んだ知識は、ずっと説得力があります☹ 実際、私もサトリを迎える前に、日本で言う 『陽性強化トレーニング(正の強化)』 を学びに1時間以上もかけて出かけました。家庭犬しつけトレーナーになれればなれたでそれもいいな、と思ったのですが残念ながら筆記テストでダメでした。何回もトライしましたけどね🙄 何故か? その講座を開催している団体は20代~30代しか合格させない、と言う噂を聞きました。 そして、その団体がシーザー・ミランの招聘に抗議行動をしていたということも🫤 今、シーザーは人気が出すぎて、招聘するなんて予算も大変だと思いますが・・・。 私が日本にいたら、トムを招きたいと本気で思います(誰か腰をあげませんかね?😉まだ、日本じゃ名前知らない人多いか・・・🙄) 何故私がこれほどトレーニングに興味を持ち、バランスドッグトレーニングを支援してるか・・。それは、サトリが手に余る強いスピリットを持つ犬だったからです。 * 『サトリの思い出ブログ』 を読んでいただけるとどんな犬だったかご理解頂けると思います。将来、日本産シャイロ・シェパードを迎えたい方も参考に読んで頂くといいかも。で

徒然に・・・・

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この間ちょっと話したけれど、エリはパピークラスから始まって、初歩のオビディエンストレーニングクラスにアップグレードして1年ちょっと通いました。週に1回で、1時間のクラスだけれど、エリの (リードリアクティブに関しての) 進歩は、クラスの仲間のみならず、トレーナーの目に留まったようで、トレーナーのテリーに今までのお礼のメッセージを送ったら、嬉しい返事をくれました。 ”あなたの犬たちのトレーニングのお手伝いをさせていただき、ありがとうございました。  あなたは自分が思っている以上に優れたトレーナーですよ。 エリがここまで来れたのは、あなたが決してあきらめず、いつも愛と尊敬をもってトレーニングしてくれたからです。 私の生徒としてこれ以上の誇りはありません♥️” 素敵でしょ?心強い言葉を頂きました😊 (こんなメッセージを頂けたのは、Tom Davisのおかげでもあります😉) 彼女は、ペーハ、ターニャのパピークラス、キャスとエリはパピークラスからオビディエンストレーニングクラスまで指導してくれました。サトレラパパの母親が当時、アジリティ仲間だった彼女を紹介してくれたのです。 施設がなくなるので、仲間たちにも会えなくなるしちょっと寂しいです。 エリ最後のクラス風景 なぁんて思ってたら帰り、日本の友人からのパッケージが郵便局に届いていたのです😀 私に何かを送ってくれたとは聞いてましたけど、パッケージには、デンマーク語でお誕生日の歌が手書きで書いてありました🎂🎉 そして、このパッケージに貼られていた切手が、とってもユニークで気に入りました。 日本では色々な記念切手を発行しているのは私が日本にいた頃からそうでしたが、こんな切手は見たことありません。 小さくてみえないだろうからと、ひとつひとつ記念に写真撮ってみたのを並べてみました。 拡大してみたい方は写真をクリックしてね 😉 友人の、 「(披露は)ほどほどにお願いします。」 と言うのを尊重して中身は 『企業秘密』 ?😄  でも、これを見た時は、私は浦島太郎の気持ちがわかる気がしました。 こんなの10年前には見てなかったような 🤔 いや、あったのかもしれないけれど、梅干しは色々なのが好きに選べるし、みょうがも買わなくても家の家庭菜園に勝手に生えてたし、当時はあまり、手軽なインスタント食品はあえて使わなかった・・・のかな?

なんとなく気ぜわしい9月

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 8日に 、エリザベス女王陛下が崩御されましたね。歴史上で一番長い間王位についていたそうで。 そうですよね。70年。お疲れ様、と言う言葉はふさわしくないですが、生存中に世界で起こったことを色々思い出すと、ゆっくりお休みください、と言う言葉しか出てきません。   威厳ある25才(写真/Getty Images)   9日は 、ママスーザンの誕生日でした。でも、サトレラパパとママスーザンは隣同士に住んでいるのに今、ほとんど交流がないのです。前は、そうとは言いながらやっぱり家族なんだから、と言う提案もしたのだけど、そうすると又、けんかになるので、もう何も言わないことにしました。サトレラパパに言わせれば、私のように ”家族愛に包まれて育った人には理解しがたい家庭事情” だから🙄 でも、私は一応、テキスト(携帯電話のメール)を送っておきましたけどね😏 実際に何歳になったのかは、 はっきりと知らないのだけど四捨五入したら多分もう80歳じゃないかと。 でも、彼女は今でも愛犬とハーディングのトライアルを(羊追いの競技) 楽しんでます。*ビデオは5年前。今は亡きティッパーの勇姿)   10日 は、パパゴードンの命日です。3年になります。ヘビースモーカーだったけど、肺がんではなく肺気腫だったか肺水腫だったか、肺の病気で亡くなりました。 なんと、愛する妻、ママスーザンの誕生日を祝った翌日でした。 彼は、カリフォルニアで、有名人の馬の馬蹄も手掛けていた有名な装蹄師で、亡くなった時にはその世界の雑誌にも記事が載ってました。 非常に気難しく、短気でサトレラパパが子供の頃は怖い存在で、子供の頃の父親との思い出は理不尽に思える事ばかりで楽しかった思い出はほとんどないそうです😔 でも、私が渡米して知った彼は、確かに決して冗談を言ったり、軽口をたたけるような雰囲気ではなかったけれど、楽しそうな彼の姿の方が記憶に残ってます。    2007年のパパゴードン 11日 は、9.11(アメリカ同時多発テロ)。忘れもしない・・・って実は、街へ出て、何で星条旗が沢山翻ってるんだ?って思ってました。サトレラパパに聞いても、「アメリカの祝日とかよく知らない」って😅 家に帰って調べてやっと・・・・🥺そう言えば、Facebookでも、全然投稿されてるの見なかったかも。 みんな、それよりもコロナ禍にある今の生活を

内輪エリ誕生日パーティー!

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前回のブログでちょこっとご紹介したエリの誕生日が28日でした。   2歳です😘   2歳のクッキー とその日収穫した我が家のとうもろこし 🌽   誰の誕生日でも同じに(人間の場合は外食だけど☺️)スペシャルディナーを創りました。 今年のエリのメニューは、 牛のたたき~!   とは言うものの、実際は炙ってなくて   湯通ししただけです 🤣   これを食べやすいように切って、アレンジしたのが   左のがターニャ、真ん中がエリ、右がキャス   一応小さめに切ったのに普段食べなれないからか、ターニャは飲み込み食いをしたのか、少ししたらゲボして・・・😮 でも放っておけば、食べるだろうと思ってそのままにして、ちょっと外へ出て戻ってきたら、なくなってました😵    去年のエリの誕生日は、まだエリが落ち着いてなくてみんな一緒に食べられなかったけど、今年は、エリもオビディエンストレーニングでだいぶ落ち着いたし、じゃ、ビデオを撮ってみよう、と思い立ち、準備をしました。 その撮影風景がこれ😉      そして、それをなんとか編集して出来上がったのが、これ!🙃        *こちらは音楽入りなのでボリュームに気を付けてください。     ご視聴ありがとうございました😄

conscientious(コンシエンシャス)

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 意味は、 『誠実』 『実直』 『真面目』 『良心的』 『入念』 エリの誕生日の記事を書こうと思ってたんだけど、色々とバタバタすることがあって、話がまとまらず、まずはこの話を・・・。   思い返せば、子供のころから私は人と関わる機会が多い生活を送ってきた気がします。 母親が日舞の師匠だったので、母親が出演する踊りの会に連れていかれ、楽屋で母のこまごました世話をするのです。当時、日舞をやる人は花柳界の人が多いようで、母は私に他の人に失礼のないような振る舞いをすることを、口を酸っぱくして言ってました。楽屋は何か不思議な世界で、会う人会う人にお辞儀をしながら歩いてた記憶があります。   又、高校から大学が音楽学校で、専門がフルートだったので、木管楽器のアンサンブルや学校のオーケストラに参加することも多く、そこでもやっぱり先輩後輩、諸先生 方には腰を低く接していた気がします。 卒業して、結局音楽の世界には進まなかった私は、大手のホテルに勤めてフロントにいました。 そこでは、常連客の名前、顔、宿泊している人の部屋番号とかを覚えなくちゃいけなかったし、見かけたら声をかけて挨拶をしたり・・・。働いている間は結構、気を遣っていた・・かな?  でも、子供の頃から、人の気持ちをうかがう・・・と言う表現がいいのかわからないけれど・・・、そう言う事に気を配る環境に触れてきたから、人の立場に立って考えてあげられるトレーニングは出来てきてたとおもってるんですが😃   その後は、大手商社の子会社であった、某人材派遣元の会社で営業と派遣社員のお世話をしてました。派遣社員をいくらで雇ってもらうか、派遣社員の時給はいくらにするか、も気を遣いました。 見習い期間に、初めてベテランさんと一緒に履歴書を見ながら面接した時には、面接者に何を聞いていいのか、どこをチェックすればいいのかわかりませんでしたが、過去の経験が生かされたのか意外に早く人を見る目が養われた気がします。   何を言いたいか? 渡米して気づいたのが、ここ南オレゴンで働く人たちの、事務手続きの粗雑さと言うかいい加減さと言うか・・・。もっともそのおかげで、助かったこともありますが😆  でも、自分でやる、と言ったことは、実行して欲しいですよね。こっちもあてにして待ってるわけだし。   アメリカ人はやっぱり 『開拓民』 だから細かいことは苦手?