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いつも思い出す事なくとも

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 『心のどこかにいつもいる』 これは、私の高校/大学時代からの友人 (付き合った時期もちょぴっとあるけど 😄 ) が、偶然会った帰りの電車の中で私に言った言葉です。今でもあの時の瞬間は覚えてます。久々に会った彼の口からサラッと出た言葉は今も大事な宝です。彼は覚えてないかもしれないけれど😆 残念ながら、私が渡米してからは音信不通になりました。 何故こんな話をするかって・・・。 日本は旧盆ですよね。友人が、迎え火の写真を送ってくれてそれを見ながら逝ってしまったものたちを思い浮かべていました。 特にこのお盆の時期に逝ってしまったものたちを・・・。 毎回同じ文章になるのはわかるので、4年前の今日のそのブログ記事の リンク を貼って終わる事とします。 合掌🙏 血は分けてなくとも サトリの生涯で唯一の弟分だったKHAN(2012年8月16日没)

最近気にかかること・・

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自分はとてもいい友人たちに囲まれていた・・・いや囲まれているといつも思うのです。 ご存じのように私はアメリカ在住ですが、日本にいた時よりずっと友人たちを身近に感じる事が多いです。テクノロジーの進化のおかげでもありますけどね。 友人を通じて・・・でも、通じてでなくても実際に、会ったこともない方とも知り合いになって📨やFBでコメントのやり取りをする・・・。又は、アメリカの西海岸と東海岸は日本へ行くくらいの時間をかけていく場所なのに、そこにいるドッグトレーナーとチャットで話せる。 あ、友人関係の話をしようと思ったのじゃないのですよ😅 古い友人の一人、Hさんは 山本耕史さん のニュースを見つけるとすぐにメールにその記事や番組のリンクを貼って送ってくれるんです。 私のスマホの待ち受け写真 😆 はい!私はもうン十年変わらず彼を応援しています🤗 堀北真希さんとの結婚以来、彼の人気は、うなぎのぼり・・・ NO! 昇り龍のごとく らしいじゃないですか。 もっとも、筋肉を見せる場面が多いとか言うのもあるようですけど😆 中日スポーツの記事から 昇り龍で気づいたのですが、彼は1976年生まれ。つまり辰年だったんですね🐲 年男。2024年は彼の年だったとは気づきませんでした! 8月には26年ぶりのミュージカル『レント』に再びマーク役で舞台に立つようです。 資金と時間があれば、ステージ観に行くだけでも一時帰国したいくらいです。 そしたら! 私の高校時代の一番の仲良しYさんが、なんと!抽選に当選してチケットをゲットしたと言うニュース! やったね! 感想を聞くのが今から楽しみ!自分が行かなくても仲良い友人が観に行くなら自分が行った気分にもなろうと言うものよ!!(^_-)-☆ そう、その友人と昨日久々にFacetimeでおしゃべりしました。 そしたら、日本にも Biewer Terrier【ビーバーテリア】 のブリーダーがいると教えてくれました。 知ってます? ビーバーテリア。 映画「僕のワンダフルジャーニー"Dog's Journey"」 Max役のビーバーテリア しかし、お値段聞いて 165万円! アメリカでも高い犬種ですが、アメリカだったらこれだけ出したらいい血統の子犬が3頭くらい買えちゃいます。 日本ってホントに犬の値段高いんですね😲 私たち日本にい...

まだ木曜日・・・

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 【ルティーン生活に変化があると・・】 さて、さて、8月末は待望の日本からの友人と従姉夫婦がやってくると言うので、早くから普段使っていない階下のサトレラパパのセミナールームの大掃除から始まったわけですが、 な、なんと! 従姉夫婦が へ来られなくなりました! 残念!! いや、来れなかった・・・と言う表現の方が正しいか😓 JAL退職者が使える格安切符。これは予約が出来ないため、空席待ちというものだそうです。 海外旅行者が増えている昨今、やはり空席はなかったようです😒 以上が、8月31日に書いていた部分。 そして、今は9月2日の土曜日。 小原大将が帰って、後片付けや洗濯をして、いつものルティーンが戻って来たら、やっぱり一日が過ぎて行くのが早く感じるんだ・・・と言う新しい発見💥 人間、刺激が必要ですね。 従姉夫婦が来られなくなり、ハイテンションから一気にローテンションになったものだから、翌日は、ボーっとしてました。 山火事の煙も影響してるのでしょう。 『特異体質サトレラパパ』 は、 「青菜に塩」 状態だったので、初訪問の従姉たちにそんな姿を見せることなく、よかったのかな?と前向きに考えています👌 小原大将と言えば、2017年に訪ねてくれたのが最後で、その時は、ターニャが1歳、キャスが生後5ヶ月でした。 キャスは子犬の時から、テリトリー内では見知らぬ人に対して警戒心があり、大将が階下から私たちの住居へ登場するたび吠えてました😁 今回もどちらかと言うとそうでしたが、大将が まった、吠えられた! と言いながら、上手にうちの犬たちに対応してくれたので何の問題も起きませんでした。 全くの初対面のエリは、かなり大将の動きをうかがってましたが😅 大将がびっくりしたのは、ターニャの成長ぶりだったようです。 何回も おとなしくなったねぇ。 と言う言葉が口をついて出てました😂 そりゃそうよね。最初に会ったのがターニャ5ヶ月、 大将帰国の際に記念写真を・・ と思ったら暴れる暴れる 😓 2回目は1歳だったけどあまり変わりがなかった😓 それに比べて、キャスの落ち着いてる事 キャスの5ヶ月 そうそう、今回、Tom Davisのクラブの  ”Monthly Challenge”  のお題は、 家族以外の人や犬や子供に礼儀正しく挨拶出来るか。 だったので、大将に会った時にビデオを...

今週は忙しいぞ~~🫠

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 こちら、涼しい夏で喜んでましたが、先週は40℃を超える暑さ続きで最高が44℃。 そのせいで、ついに山火事🔥が発生してしまいました。 (参考写真です。) 8月13日にオレゴンの北の方で起きた山火事 テキサスはハリケーンで大変です。日本も先日の台風で被害が出た話を聞きました。 過去、何億年にもわたって変化してきた🌍が、またここで一変わりをする時期に来ているんじゃないかと言っている科学者もいるようです。欲深い人間が起こした結果、と言う人もいるようです。 何が真実かわかりませんが、そんな時代に自分が生きてることが運がいいのか悪いのかわかりませんが、 今週! 日本から久々の友人が来てくれます。今までに、数回訪ねてくれてた、武道仲間で私が 『大将』と 呼んでるサトレラパパと共通の友人です。 コロナ禍で、旅行が出来ず、フラストレーションが爆発しそうだとか言ってました😁 その間に、お兄様とお母上を亡くされ気落ちした日を過ごしていたのではないかと思い、こっちに来た時は大好きなワイン🍷の試飲にワイナリー巡りをしようと思ってたのに、数日前から山火事発生で、今日は、大気質汚染警告で家に閉じこもってます。 空気清浄機もつけたままで寝たのに、今朝頭がくらくらする感じで、珍しく朝はソファで横になってました。エリが心配そう?にそばに来てスリスリしてましたが😌 サトレラパパは空気清浄機をつけていても、古い家なので隙間から入って来るからそのせいだ、と言ってましたが。 今までそんな症状になった事ないので、「そうかな?」と内心思いましたが、 燃えるものによって出る物質も違うだろう から、全くの推測でもない気もします。 今は元気ですよ! 『 大将 』来るまでに火事が収まるとは思えないのですが、折角、何年ぶりかに楽しみに来てくれるのに、私たちや犬たちの顔を見に来るだけじゃ、申し訳ない😓 今より収まって風向きもちょっとの間、違う方向へ行って欲しいと思ってます。 『 大将 』と入れ違いに なんと! 私の従姉夫婦も、やって来るんです。 彼女、チエちゃんは、私の父方の従姉で、正直、血のつながった”いとこ”は、チェちゃん以外に彼女の弟の二人しかいないんです。 でも、あまり会う機会もなく、成人してから一族の定例会に一緒に行ったり、お正月に我が家に伯父さんと来たり、彼女が一人暮らし、結婚し、会うように...

徒然に・・・・

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この間ちょっと話したけれど、エリはパピークラスから始まって、初歩のオビディエンストレーニングクラスにアップグレードして1年ちょっと通いました。週に1回で、1時間のクラスだけれど、エリの (リードリアクティブに関しての) 進歩は、クラスの仲間のみならず、トレーナーの目に留まったようで、トレーナーのテリーに今までのお礼のメッセージを送ったら、嬉しい返事をくれました。 ”あなたの犬たちのトレーニングのお手伝いをさせていただき、ありがとうございました。  あなたは自分が思っている以上に優れたトレーナーですよ。 エリがここまで来れたのは、あなたが決してあきらめず、いつも愛と尊敬をもってトレーニングしてくれたからです。 私の生徒としてこれ以上の誇りはありません♥️” 素敵でしょ?心強い言葉を頂きました😊 (こんなメッセージを頂けたのは、Tom Davisのおかげでもあります😉) 彼女は、ペーハ、ターニャのパピークラス、キャスとエリはパピークラスからオビディエンストレーニングクラスまで指導してくれました。サトレラパパの母親が当時、アジリティ仲間だった彼女を紹介してくれたのです。 施設がなくなるので、仲間たちにも会えなくなるしちょっと寂しいです。 エリ最後のクラス風景 なぁんて思ってたら帰り、日本の友人からのパッケージが郵便局に届いていたのです😀 私に何かを送ってくれたとは聞いてましたけど、パッケージには、デンマーク語でお誕生日の歌が手書きで書いてありました🎂🎉 そして、このパッケージに貼られていた切手が、とってもユニークで気に入りました。 日本では色々な記念切手を発行しているのは私が日本にいた頃からそうでしたが、こんな切手は見たことありません。 小さくてみえないだろうからと、ひとつひとつ記念に写真撮ってみたのを並べてみました。 拡大してみたい方は写真をクリックしてね 😉 友人の、 「(披露は)ほどほどにお願いします。」 と言うのを尊重して中身は 『企業秘密』 ?😄  でも、これを見た時は、私は浦島太郎の気持ちがわかる気がしました。 こんなの10年前には見てなかったような 🤔 いや、あったのかもしれないけれど、梅干しは色々なのが好きに選べるし、みょうがも買わなくても家の家庭菜園に勝手に生えてたし、当時はあまり、手軽なインスタント食品はあえて使わなかった・・・...

なんとなく気ぜわしい9月

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 8日に 、エリザベス女王陛下が崩御されましたね。歴史上で一番長い間王位についていたそうで。 そうですよね。70年。お疲れ様、と言う言葉はふさわしくないですが、生存中に世界で起こったことを色々思い出すと、ゆっくりお休みください、と言う言葉しか出てきません。   威厳ある25才(写真/Getty Images)   9日は 、ママスーザンの誕生日でした。でも、サトレラパパとママスーザンは隣同士に住んでいるのに今、ほとんど交流がないのです。前は、そうとは言いながらやっぱり家族なんだから、と言う提案もしたのだけど、そうすると又、けんかになるので、もう何も言わないことにしました。サトレラパパに言わせれば、私のように ”家族愛に包まれて育った人には理解しがたい家庭事情” だから🙄 でも、私は一応、テキスト(携帯電話のメール)を送っておきましたけどね😏 実際に何歳になったのかは、 はっきりと知らないのだけど四捨五入したら多分もう80歳じゃないかと。 でも、彼女は今でも愛犬とハーディングのトライアルを(羊追いの競技) 楽しんでます。*ビデオは5年前。今は亡きティッパーの勇姿)   10日 は、パパゴードンの命日です。3年になります。ヘビースモーカーだったけど、肺がんではなく肺気腫だったか肺水腫だったか、肺の病気で亡くなりました。 なんと、愛する妻、ママスーザンの誕生日を祝った翌日でした。 彼は、カリフォルニアで、有名人の馬の馬蹄も手掛けていた有名な装蹄師で、亡くなった時にはその世界の雑誌にも記事が載ってました。 非常に気難しく、短気でサトレラパパが子供の頃は怖い存在で、子供の頃の父親との思い出は理不尽に思える事ばかりで楽しかった思い出はほとんどないそうです😔 でも、私が渡米して知った彼は、確かに決して冗談を言ったり、軽口をたたけるような雰囲気ではなかったけれど、楽しそうな彼の姿の方が記憶に残ってます。    2007年のパパゴードン 11日 は、9.11(アメリカ同時多発テロ)。忘れもしない・・・って実は、街へ出て、何で星条旗が沢山翻ってるんだ?って思ってました。サトレラパパに聞いても、「アメリカの祝日とかよく知らない」って😅 家に帰って調べてやっと・・・・🥺そう言えば、Facebookでも、全然投稿されてるの見...

お盆ですね🍆🥒

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日本は、もう15日だから送り火を焚く日ですね。 そして、終戦記念日・・・ですね。 海外に住んでても・・と言うか海外に住んでると日本では当たり前であまり気にかけていなかったことが大きなこととなりますね😊   今年は、サトリの没後7回忌だし、レイラとペーハの没後3回忌。 特に、サトリがいなくなった2016年には私の大事な人があいついで他界したので、私が生まれて初めて鬱になった記念の年でもあります。 幸い、薬がすぐに効いたので長い間患わずにすみましたけど😁   鬱って、ホントに人に言われるまで…私のケースはサトレラパパに言われるまで・・・自分じゃ気づかないんですよね。認めたくない・・・と思う人はまだ『鬱』になりきってないのかもしれないと思います😄 なんて、今じゃそんな事言って笑ってますけど・・・。   2016年まず旅立っていったのは、サトレラパパの従妹の息子の イーサン は享年11歳での急死です。 誕生日の祝い🎂をしたその夜に気分が悪くなり、そのまま意識がなくなり脳死を宣告で、結果両親は彼の臓器提供を決意したわけです。動物が好きで、将来獣医になりたいと言っていたので、期待してたんですけれどね🥲本当に残念です。その後、もともと色々な家庭事情があったイーサン一家、サトレラパパの叔母さん一族は、家庭崩壊の状態になってしまいました😌 イーサンが家族をつないでいたわけです。 イーサン(Ethan)   その次の訃報が、私の父の従弟になる肇叔父でした。 彼は、某大学で教鞭をとっていました。 年に一度、親族一同が集まる会があり、何年かに1度は、先祖が祀られている神社や、所縁のある土地を巡るツアーなんかもやってました。私が初めて父に連れられて行ったのが、当時親類の中の長老だったんでしょうか、車椅子の生活をしていたご婦人の家でした。当時は私はまだ若くて、お歴々の方々とはあまり口を聞くこともなかったのです。 広島に住んでたこともあり、何年も欠席してましたが、久々に会に参加するようになって、肇叔父の気さくな奥さん、多賀弥叔母と言葉を交わすようになり親しく話すようになりました。 そんな叔父でしたが、血筋でしょうか、父方の親類はみんな酒飲みです。そんなことからか、彼は糖尿病を患っていました。でも、叔母さまがとてもよく面倒をみていて、それでも80代...