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イースター(復活祭)

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今年は結構遅いイースター。 子供は、 『エッグハンティング』 と言う、庭に隠されたきれいに色をつけられた卵🐣を探すのがイースターの一大イベント。 私も子どもの頃、クリスチャンの伯父の影響もあって日曜学校へ通ってたので、そんな真似事みたいのをやった記憶がある。 思えば、私の家族にはキリスト教信者(プロテスタント)が自分も含めて5人もいた。祖父母に伯父伯母。 でも、正直、私は洗礼を受けたものの、牧師さんの説教の中で聞いたキリスト教についての話ですっごい疑問を抱き今は 『似非クリスチャン』 教会へも行ってないし😀 サトレラパパはアメリカ人でもキリスト教徒じゃない。それでも、彼の歩む人生に、イエス・キリスト、仏陀等々と関わることがあるんで、私よりよく色々な事を知っている😄 私は人が信じるものを否定する気はサラサラないので、これを読んだクリスチャンである方もサラっと流して欲しいのだけど、私が『クリスチャン』であることを止めたのは、牧師さんの説教の中に自分の信条に合わない事があったから。 それは、簡単に言えば、 「自分がこの世で犯した罪も過失も、すべてあなたの代わりにキリストが十字架を背負ってくれる。あなたの罪は許されるのだ。」 でした。 その日まで、日曜は出来る限り教会へ行き、静かに牧師の説教を聴く信者だったつもりだけど、その言葉を聞いた時、 そ、そんなのあり得ない! あってはいけない! と思ったんです。 じゃ、生きてる時何をしてもいいって言うのか?😦 サトレラパパと会った時はすでに『似非信者』でした。 彼にも私が教会を去った理由を話したら、私の性格を知ってる彼はすぐに納得したようでしたが・・😅 私は、学生時代に付き合ってた人を結果的にひどく傷つけた事がありました。 私が何故彼と別れる事になったのかを母親に話したら、彼をよく知る母が 「あんなに大事にしてくれた優しい人に、自分の娘がそんな事をしたなんて、信じられない。」  とあきれてたのを覚えてます。 何年もたってから、あるきっかけから、彼が手紙をくれました。 彼は、 「あの時は、とても辛かったけど、あなたとの思い出はあの時のまま心に残っています。もう気にしないで下さい。」 と書いてきました。 こんな人の心を傷つけた罪が許されることは自分

探求心、好奇心を失わずに

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ここ数年、武道関係の雑誌のメルマガとか見ると、『エネルギー』だとか『瞑想』とか言う文字を目にするようになった気がします。 瞑想・・・英語ではメディテーション。 私は、日本にいる頃に真言密教系の瞑想からスタートしてみました。 瞑想を始める時はいつもそれなりのお膳立てみたいのをするのです。(音楽を流すとか、画像を見るとか。こっちに来てからは森🌳🌳🌳の中を散策してみるとか) でも、渡米してリッチーと剣術や大東流の練習をしてる時に 「レイラへの愛を思う自分のエネルギーを拡散してみて」 とか 「サトリの魂が自分を守っていると感じるエネルギーを広げてみて」  とか 難しい課題を与えてもらってるうちに、お膳立てがなくてもいつでもどこでも瞑想モードに入る感覚がつかめるようになってきました。 リッチーのメソッドも段々進化して、 「もっと壮大なエネルギーを出す時、何を思う?」 と言う質問に、自然?地球?神?大日如来?宇宙?と思ってけれど、どれもしっくりこない。そこで思い出したのが(知る人ぞ知る) 【聖闘士星矢】 のアニメにあった 『コスモを燃やせ』😆 しばらくは。その『コスモ』なるものを思ってたけど何かやっぱり今一つしっくり来ない😤 それが、この間、久々に懐かしいラコタ語(一時期ネイティブアメリカンにかかわるイベントに参加してた影響もあって)を聞いてピッピィ~ン💡と来たのです。 『ワカンタンカ(大いなる神秘)』 同じように自然や自然現象に尊敬の念をもつのは神道と似ているけれど大きな違いは、 神道は多神教 と言う事。神話の世界に始まり、そこには八百万の神がいる。 その点、『ワカンタンカ』には始まりも終わりもなく、人格化された存在はなく、偶像も存在しない。Wikipediaによれば 「宇宙の根本原理」 になっていると言う。 子どもの頃から、何故か西部劇の『インディアン』 が気になっていたけれど、大人になって彼らもモンゴロイドで赤ちゃんの時に蒙古斑があると知り、何だかわからないけれど納得😆 日本🗾(芋虫ではありません😟)を後にしてから、全く違う環境に住み、1歩家を出れば髪や目の色が全く違う人たちに会い、違う言葉を話し、日本にいたら気づかなかったろう事も、経験する事なかったろうことも