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心に引っかかってた事

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 ゲストが来る前に大掃除して、備品を取り揃えてと言う話は昨日しましたが。 ずっと気にかけてた事もやり終えました。 それは何か・・・。 先代の 我が家の『御三家』 の遺影をちゃんとプリントアウトして、額に入れる事😀   サトレラパパと話し合って、やっぱりモデル風な写真よりも、それぞれの個性が少し見えるのがいいね、と言うことになりました。 しかし、沢山ある写真から選ぶのは結構な大仕事でしたよ。 どれにしよう。   遅くいなくなった順でレイラから始めたんですが、15年間一緒にいた年月と、一緒に暮らしたのが3年だけのペーハとの写真の数が違うのが何か、現実に引き戻された気がしました。 最終決定の前、候補になった写真をご披露すると・・・。 じっくり見たい方はクリックで拡大して見てね😉 レイラ ペーハ サトリ そして、最終的に額に収まったのが・・・😊 これです。   やっぱりサトリが真ん中でしょう・・・と言う事になりましたので😆   これで、大将が来る前のひと仕事がとりあえず終わって  FBには、後で落ち着いてからアップすることにします。 あ、そう言えば、シャイロ・シェパードのMeerの子犬たちが、ついにまもなく6週目に入ります。 最近、ゲストの来訪準備でバタバタしてたもので、FBツアーをしてなかったので、立ち上げて出て来た投稿記事鹿読んでませんでした😅   1頭1頭の子犬が紹介されてます。ケンネルのホームページをチェックしましたが、まだ14日目までの写真しかなかったので、FBから、スクリーンショットで頂いた写真を載せておきます。     FBのアカウントを持ってる方は是非、 ”Weiss Meer Shiloh Shepherd” ”を探して見て下さいね。   サトリのブリーダーと、サトリの異母兄弟姉妹が誕生するニュースが入った時にチャットしたのですが、(私が期待するような)サトリのような気質の子犬は産まれないと思うと、言われました。確かに、Meerはサトリの母親のTellaと違っておとなしい性格のようですから、当然だと思います。 でも、何はともあれ、サトリと同じ血の子犬たちが日本に生まれることは、想像もしてなかったので、何だかとっても嬉しい。 自分の子犬になるわけじゃなくてもね😊   シャイロの話が出たので、ボーナス写真です。 写真を送って下さったロッキーの飼い主

レイラの命日

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 6月29日は、長い間、我が家のアイドル的存在だった、チャイニーズ・クレステッド・ドッグ レイラ の命日でした。 レイラ 毎年毎年あきずに思い出話をしてますが、サトリが私たちにとって、初めてのシェパードなら、レイラは初めての小型犬でした。 社会化の時期に、レッグペルセス症を発症したので、十分な社会化が出来ず、病院に何回も通って、男性の獣医さんに痛い思いをさせられて(勿論獣医さんは治療の為だったんですが)すっかり見知らぬ人、特に男性が苦手になりました。 いつもサトリの後ろに隠れているみそっかすで、人がサトリに注目している間は目立たないようにじっとしてました。 サトリが歩いていると人だかりが出来ました。 でも、こんなレイラが渡米後、みずから進んで人に撫でてもらうようになったのは、 一緒に暮らした大型犬のメンバーのおかげ だと思ってます。 サトリ、ペーハ、ターニャそしてキャス ペーハは体高81cmくらいありましたけど、決してレイラに意地悪しなかったし、過剰なくらいの元気一杯なターニャも、レイラを冷やかしたり、ちょっかいを出すことはしませんでしたから。 サトリとペーハがいなくなってからの、レイラはある意味、パックリーダー的にキャスからもターニャからも一目置かれてる気がしました。 特に、キャスは穏やかな気性なので、一つ年上のハイパーお姉さんのターニャが苦手で、よくレイラと一緒にいました。 レイラは今、サトリと一緒に安らかに眠っています。 キャス、親友のお墓参り 満開になったうちの ラベンダー と数々の ワイルドフラワー あちらの世界でも、きっとサトリに守られているんだと思います。 毎度お馴染み、この時期限定、レイラの思い出ビデオ(7月15日まで公開) クリック 亡くなった日の午後に出ていたレイラみたいな雲に顔をつけてみました 😉

サトレラパパ/ママのお正月の会話 犬のパーソナリティー その2

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サトレラパパと先代の犬たちの話になった時、必ず出るのがサトリが子犬の頃から面倒をみてきたサトレラパパが私たちの武道の稽古や、ふざけっこをしていると私が優勢に見えていてもいつもサトレラパパに向かって吠えた!と言うことです😂( つまり私はサトリの保護下にあった 🤣) そのサトリは、 シャイロ・シェパード 。 (写真はクリックで拡大可です) サトリ4歳 【ついでにニュース】 当時は、海外からの輸入でしたが、 2022年11月18日 に日本で初めてのシャイロの子犬が産まれましたね。 (まだ、ご存じなかった方は 「 二人の夢 -海ー 」 をご覧ください。) 牧場育ちで色々な動物に接してきたサトレラパパにとっても かなり手ごわい子犬 だったようで、それがサトレラパパにはいい思い出として残っているそうです。今のように健康を崩していたら絶対に世話は出来ないタイプの子犬だった、と言っています。   昭和記念公園のドッグランで仲良しのKAHNと遊ぶサトリ 1、2歳まではみんなと遊んでました。 立川の昭和記念公園のドッグランがオープンした頃からよく通っていたせいで、サトリにとってはそこは 『私のドッグラン』 つまり、 縄張り だったようです。   成犬になると、自分は遊ばずに新しく来た犬たちを遠くから吟味したり、挨拶に出迎えたり、ランの中で他の犬たちが激しく遊んでいると、和を乱すものは誰だ!と言わんばかりにポリスドッグの役割をしていました。常にそうやって 辺りを気にしていました 。仲間うちからいいのか悪いのか   「サトちゃんがランに入って来ると犬たちが一瞬緊張するわよね」 と言われたこともありました。   馴染みのない犬がいるとチェック、チェック もっとこちらがコントロールしなくてはいけなかったのではないかと、遅まきながら反省してます😓   人の家でもリラックス。ものおじしない性格 😅   サトリは犬の付き合い方を知ってるから、と思ってた飼い主さんもいて、新しい子が来るとサトリがいる区画をその飼い主さんに勧めていました。 いや、でも・・・ と私は焦りましたよ。だって、喝を入れなくちゃいけないと思った個体には、いじめに近いくらいしつこいから、止めるこちらの方も大変でした。♂はあまり問題ありませんでしたが、 同性には厳しかった ですよぉ~😰 そんなサトリですが、小型犬が怖がって

Merry Christmas!🎄🎅

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Wishing you a very merry Christmas filled with fun and laughter,  and  very best wishes for a fabulous New Year! 今年は、サトリ(7回忌)、レイラ、ペーハ(双方3回忌)なので、スペシャル記念クリスマス写真にしました😄 2015年12月地元で撮影 😉 皆様、良い年をお迎えください。

お盆ですね🍆🥒

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日本は、もう15日だから送り火を焚く日ですね。 そして、終戦記念日・・・ですね。 海外に住んでても・・と言うか海外に住んでると日本では当たり前であまり気にかけていなかったことが大きなこととなりますね😊   今年は、サトリの没後7回忌だし、レイラとペーハの没後3回忌。 特に、サトリがいなくなった2016年には私の大事な人があいついで他界したので、私が生まれて初めて鬱になった記念の年でもあります。 幸い、薬がすぐに効いたので長い間患わずにすみましたけど😁   鬱って、ホントに人に言われるまで…私のケースはサトレラパパに言われるまで・・・自分じゃ気づかないんですよね。認めたくない・・・と思う人はまだ『鬱』になりきってないのかもしれないと思います😄 なんて、今じゃそんな事言って笑ってますけど・・・。   2016年まず旅立っていったのは、サトレラパパの従妹の息子の イーサン は享年11歳での急死です。 誕生日の祝い🎂をしたその夜に気分が悪くなり、そのまま意識がなくなり脳死を宣告で、結果両親は彼の臓器提供を決意したわけです。動物が好きで、将来獣医になりたいと言っていたので、期待してたんですけれどね🥲本当に残念です。その後、もともと色々な家庭事情があったイーサン一家、サトレラパパの叔母さん一族は、家庭崩壊の状態になってしまいました😌 イーサンが家族をつないでいたわけです。 イーサン(Ethan)   その次の訃報が、私の父の従弟になる肇叔父でした。 彼は、某大学で教鞭をとっていました。 年に一度、親族一同が集まる会があり、何年かに1度は、先祖が祀られている神社や、所縁のある土地を巡るツアーなんかもやってました。私が初めて父に連れられて行ったのが、当時親類の中の長老だったんでしょうか、車椅子の生活をしていたご婦人の家でした。当時は私はまだ若くて、お歴々の方々とはあまり口を聞くこともなかったのです。 広島に住んでたこともあり、何年も欠席してましたが、久々に会に参加するようになって、肇叔父の気さくな奥さん、多賀弥叔母と言葉を交わすようになり親しく話すようになりました。 そんな叔父でしたが、血筋でしょうか、父方の親類はみんな酒飲みです。そんなことからか、彼は糖尿病を患っていました。でも、叔母さまがとてもよく面倒をみていて、それでも80代まで生きられたのだから寿命と言ってもい

土に還る

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今日、レイラの納骨式をしました。 2020年の6月29日に虹の橋🌈を渡ってから火葬され小さな缶に入って、2年間我が家にいました。     サトリは土葬にしたのに何故、レイラは火葬 ?   2年前、もしかしたら引っ越しをするかもしれないと、当時サトレラパパと話してたからです。 引越すなら、マジでサトリも掘り返して一緒に連れて行こうと思ってたくらいです🙄 でも、日本へ帰国するなら別だけど、アメリカにいる間は、もう引越さないだろうという結論に達したので、心は引かれましたが、思い切って土に返すことにしました。   場所は、勿論サトリが眠っている 『聖地』 です。   白いのがレイラの灰です サトレラパパとどこに埋めようかと相談したのですが、サトレラパパが   まだ、他の犬たちもここに来るわけだから・・・   なんて、言うから   まだ、先の話でしょ!   って言い返しましたけどね。   結局、サトリが眠っている上に穴を掘って撒きました・・・と言うか入れました😊 掘りすぎてサトリの骨見せないでよ! と、先に忠告しましたけど😁  これで、サトリを感じるように、レイラの魂が私たちのそばにいる気がして来ます。 生まれ故郷の日本へ持って行って住み慣れた立川の多摩川辺りに撒くのもいいかな?とも思いましたが、サトリと一緒がやっぱり彼女も安心できるかもしれません。   サトリとレイラが眠る場所     あの小さな骨缶はもうありません

清々しい夏の日に思うこと💞

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今日は、レイラが旅立って2年目の夏。 人の回忌法要式で言えば、 3回忌 になりますね。 *写真は全部クリックで拡大して見られます ❣️     朝から、自分がアップしたレイラの記事を読み返してみてました。 色々書いてありますね。自分の心の動き、頂いたコメント、レイラの容態の変化の様子を読んでいて、あの時を思い出しました🤫   今日もレイラの事をブログに書いてみよう!と思っていたのですが、過去の記事を読んでたら、今更ながら、の感もあり躊躇してます😆   レイラがいなくなって、フトある日気づいたんです。 サトリが逝ってしまった事は、何か両親が他界した時と同じ気持ちで、レイラがいなくなった事は、自分の姉妹、同志がもう私のそばにはいないんだ、って言う寂寥感みたいな思い・・・。 何故か・・・と 自分なりに分析をしてみた ら・・・ レイラは、サトリよりずっと元気で、病院へも滅多に行かなかったけれど、その他の面ではとても手のかかる子でした。やっぱり4ヶ月半もショップにいた売れ残りだし、レッグペルセス症にかかって、大事な社会化時期を逃した、と言うのもあるから問題行動もいくつかありましたしね。 当時の私は、 正の強化法トレーニングを学び 、それで問題行動を修正するには時間がかかるのは当然ですし、今じゃそんな事は思わないけれど、小型犬を飼ってる人の多くが思っているのではないかと言う   小型犬だから問題行動あっても何とか対処出来るから、ま、いいか!   の、 『無責任飼い主』 の部分もあったのは、今でもサトレラパパに言われますが、認めます。 「手がかかる子は可愛い」 なのか?🙄   じゃ、 サトリは手がかからなかったのか? とんでもない 😮 ブログを読んで下さってる方、実際にサトリに会った方たちはおわかりかと思いますが、アメリカのトレーナーたちが一見アグレッシブに見える犬たちを見て口癖のように言う   ドミナント(支配的)タイプの犬はまれで・・・云々   のその 『まれ』 な中に入ってもいいと思われる犬でしたから😄 子犬の頃は、仕事が早く終わって帰るサトレラパパが面倒看てましたか、今でも サトリは本当に難しい子犬で大変だった。 サトリの子犬の頃の話になると同じセリフが口をついて出てきます。 私は、正の強化トレーニングでサトリをしつけていきたいと思ってましたから、サトレラパパの