薄れゆく影

レイラがいなくなって4日目。
レイラが使っていたケージとマットをしまいました。
今はこの場所にはターニャのケージが置いてあります。

レイラに最期の時を迎えるまでの段階があるように、人の心も段階を追って癒されていくんだな、と実感しながら自分の心と向かい合っています。
心友は、「泣いていいんだよ。」と言ってくれたけれど、不思議とそんな感じじゃないんですよね。
なんでかな?

火葬場へレイラを置いてきた日は、家に入るのが辛かった(サトレラパパが模様替えをしてくれるまで)。
その後、家に出入りする時、台所に立ってる時、中庭から外庭へ通ずるドアを開け閉めする時(レイラが外庭へ出ないように気を付けていた)、『習慣化された行動』が無意識に出ている自分に気づいたわけです。

そして、4日目の今日は、まだ時折そんな状況下でふとレイラの影を見ているけれど、明らかに段々遠のいて行っているのを感じます。
こんな風にここにいたレイラの影がぼけていくんだと・・・

でも、それはレイラを忘れていっているのではなく、習慣化した行動がなくなっていくだけの事であって、今度はレイラと作った思い出の中に自分が入っていく感覚を覚えるのです。
実は、これが一番辛い時期かもしれないと感じています。

親や叔父伯母が亡くなった時、親しい友人が亡くなった時、勿論その事はすごく悲しいけれど、一緒に作った思い出の中に自分がはまった時がもっと悲しくて、切ないです。
あの時は、ああだった、
とか
あんな風にしてくれたっけ
とか
一緒にあんなとこ行ったっけ

という風に、噴水のごとくに思い出が湧き上がってくるような気がします。

ここ2,3日、キャスが私について回るのを見て、サトレラパパに

自分で大丈夫な振りしていても、キャスには感じるんだよ。

と、言われましたが、正直、そう言われると自分でもよくわかりません😞

K9ゲーム参加
前にも言ったかもしれませんが、レイラは小型犬で、手がかかる部分が結構ありましたし、色々なアクティビティにも参加し、渡米前には、昔住んでいた広島まで一緒に行ったり、サトリとサトレラパパが先に渡米した後は、私のビザがおりるまで、予想以上の長期間、レイラと二人きりの生活をしていたわけで、写真の整理をしていると、考えてた以上のレイラと一緒に過ごした時間の長さにびっくりします。

写真の整理がすんだら、来年の1周忌にむけて、思い出のビデオを作成しようと思ってます。

そして、私の喪中は一区切りつくわけです。




ちょっとボケてますが、今年、レイラの花園で・・・


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