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コスモを燃やせ💥

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と、言うタイトルを見て、クスクスと笑う人あり、懐かしいと思う人あり、悲喜こもごもだと想像してます。これは、1980年代に爆発的人気漫画のひとつ、 『聖闘士星矢(せいんとせいや)』 の中の有名なセリフのひとつです。 私はコミックのよりこのTVバージョンがいい 😆 ギリシャ神話をモチーフにしたストーリーで、女神アテナを守る闘士たちの事を『聖闘士』 と言います。 ストーリーはともかく、 『コスモ』 は、「宇宙」と考えてくれればいいです。  『聖闘士』たちは、とてつもない悪と戦う時には、自分の心の中の『コスモ』を燃やして自分のパワーを増すわけです。 星矢の守護星座がペガサス   あ、漫画の話をするのではなく、 自分が放つエネルギーを変える、 と言う話です。 日本はやっぱりアメリカに比べれば、まだまだ治安が良く、安全な国だと思いますが、ここアメリカに住んで、銃社会の怖さ、心を病んでる人の多さを実感します。 その上、オレゴンはアメリカの中でも自然の宝庫と言われるように多くの自然が残っている州でもあるようです。だから、野生の捕食動物たち(オオカミ、コヨーテ、ピューマ)そして、熊がいるのです。 ここへ来てサトレラパパの仰せに従って銃の練習へも行ったし、自分の敷地内を拳銃を腰にぶら下げて散歩してた事もありました。(今は、いつも犬と一緒に歩いているので持って歩いてません)   散歩時の私の聖闘士星矢ならぬ三銃士 😆 若干1名私を置いていなくなりそうなのがいますが 😅   もし、森の中を歩いていて、ピューマに出くわしたら・・・・。 大方の、 『(ここが大事で)健康な野生動物』 に出くわしたら、冷静に立ち回れるのか。 『健康な野生動物』とあえて言うのは、健康であれば、人間の臭いを嗅ぐと大体は逃げて行きます。でも、病気や高齢で弱っている動物、又は子育て中の母親は危険です。   出くわしたら、 突飛な行動を控え、背中を見せずに徐々にゆっくりと後退してその場から去る ・・・と言うのがルールです。でも、ピューマに出くわして、もし襲われたら・・・・それでも 逃げずに戦え! ともパンフレットには書いてあります。ピューマはそれで、自分から身を引いていく場合が多いみたいですけど、 女の私が 、 日本人の私が 戦えるのか・・・。   昔取った杵柄で 😄   「火事場の馬鹿力 」 と言う言葉もあります

機能不全家族

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 アメリカは、今月   ”Thanks giving” 🦃11月第4木曜日、来月は ”クリスマス” 🎄、と家族が集う行事が二つあります。 又、 コロナ患者が又増えなければいいな 、 と切に祈るばかりですが。 でも、コロナパンデミックになって、家族でもあまり顔を合わせられなくなった人たちもいるようですね。もっとも、コロナに関係なく、実の親きょうだいでも、絶縁状態になってる人たちもいますけど。 1年以上前に「 健全な家庭で育っていない子供たち 」 と言うのを書きました。私はアメリカに来て色々な人の話を見聞きしてるうちに、TVや映画で見たドラマは、ドラマの中だけじゃないんだって、肌で感じました。そう思うと、細かい事はともかく、普通だろうと思われる😄両親きょうだいの中で育った自分は、幸せな人生を送って来てたんだな、ってつくづく思います😐 勿論、思い返せば友人たちの中には、両親共働きでいつも鍵を首から下げていた人、何かいつも周りをキョロキョロ見ていて、びくびくしているように見えてた人、母親に夫婦仲を壊された人、親が自分より他のきょうだいを好んでいる、と感じていた人、色んな家庭事情で育った人たちいました。 当時は自分も子どもだから深くは考えなかったけど、今思うと、どうしてあの子があんなだったのか、何故彼はああ云う態度を取っていたのか云々が見えてくる気がしてきました。そうすると、全て許される気がしてくるんです。考えてみれば、親は知ってか知らずか、 犠牲になるのは大抵が子供たち ですよね。 そう言う親の事を、心理学用語で 『毒親』 と言います。 毒親の家庭(機能不全の家庭)で育つ子供たちにはそれぞれに役割が出来て来るのです。それには5タイプあるそうです。   クリックで拡大 機能不全家庭の子供たちの役割   *役割についてここで説明してると長くなるのでそれは省略させて頂きます。 私が知っている3人きょうだいもそんな家庭で育ちました。 長女、長男と末っ子の息子、3人の子供に恵まれた両親は、基本的にはどうも聞く限り 『子供』との交流の仕方を理解していないらしい のです。その理由は、その親たち自身が親に愛されずに育った、又は半ば育児放棄のような形の家庭で育った人たちだから愛情の示し方がわからないと言う事です。 そんな子供たちが成長し、結婚し、3人の子供をもうけて、長女は、 『両

親の愛ってなんだ?②

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 こんな曲知ってますか? 結構古い歌ですが。 Missing you  Song by John Waite (おおまかな内容は) 君の事を考えるたび 呼吸を整えなくちゃいけないくらい 君を思っているのに 君はもうここにいない 嵐が僕の凍った心の中を通り過ぎていく 仲間内で君の名前が出ると 笑顔になっちゃうんだけど 君を思いながら時間を過ごすと いつも頭が狂いそうになるんだ 君がいなくて寂しいなんてことはないさ 君が出て行って以来ね で、この後、強がってるけど未練タラタラの歌詞が続きます😅 事実、女性より男性の方が引きずるのは多いようですよ😏 これは、サトレラパパが子供の頃によく聴いていた曲らしいです。 今の彼を知ってる人にはちょっと想像がつかない姿かもしれませんが、子どもの頃の彼は、消極的で内気で同級生の女の子には当然人気がない😕でも、ある事がキッカケとなって人生が変わって来たそうです。 何故、彼がそんな幼少時代を送って来たのか・・・それは、私も渡米してから理解出来ました。 サトレラパパは、同じ様な経験をしているかもしれない人たちの為にも私が事実を書く限りは容認してくれるはずなので、私が出会った びっくり! 事件をいくつかご紹介します。 読んだ反応が 「え?これって普通じゃない?私の周りにもあり得るよ。」 と出るか 「サトレラママ、過敏じゃない?」 って思うか 「え?」 と私のように目が丸く👀なるか・・・。 1番最初のびっくり!👀 渡米してすぐの、感謝祭。親類縁者があつまってのサンクスギビングの夕食会でした。 その時が、みんなと初対面と言う訳ではないのですが、誰が誰だかよくわかってなかった前回と違って今回はサトレラパパと彼らの関係がよく見えてましたから。 テーブル狭しと賑やかなのはいいのですが、人が喋っているのに覆いかぶさるようにしゃべり始める人、 他の人が話し始めたのに、自分が言いたい事は最後まで貫き通す人。そんな喧噪の中で、家族の名前を大声で呼んで用事を済まそうとする人、席を外して黙々と一人で後片付けをしている人。 な、なんだこれは? サトレラパパも同化してるし😨 私が知ってる彼じゃない❗  そんな困惑の中、お開きの時間が来た時、一人の叔母さんが私に言いました。 ”私たちに圧倒されたかしら?これが、『うちの家族』よ!” 私の見解 2回目の👀! 渡

親の愛① ”No Matter What” 

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”例え何があっても” ”例えどんなであっても ” が和訳になります。   カルム・スコット(Calum Scott)と言うイギリスの歌手が歌っている ”No Matter What” を聴いた事ありますか?私の好きな曲のひとつでもあります。   ゲイである彼が自分自身を受け入れていくまでの辛い思いを歌っています。 意訳をすると、   No Matter What ”自分が (ゲイじゃないかと感じる事に) 恐怖を覚えた子供時代、 母親の反応が怖くて告白するまでに時間はかかったけど 母親は 「あなたがどうであっても、愛しているわ。」 と言ってくれた。 でも、信頼していた友人に自分の事を話したら 変人扱いされ、自分の傷ついた心を察した母親がしっかり抱いて 「自分を変えようと思わないで。なんであろうと、あなたを愛しているわ。」 と言ってくれた。 大人になって、自分がどう対応したらいいか理解出来るようになって 愛をみつけもしたけれど、まだ、ひとつ欠けているものがあった。 (でも)ある日、父親が言ってくれた。 「お前がどうであっても、そのままのお前を愛している。」 父親も母親も自分を愛してくれている。”   これは、数年前に発表された歌ですが、多くのゲイの人たちに勇気や慰めを与えてくれたようです。 何かこのミュージックビデオと歌が気に入って今もよく聴いています。 世の中、全ての母親が同じ思いではないとわかってはいるけど、私は自分の息子がゲイであっても、ニューハーフでも、きっとこの母親と同じ気持ちだろうし、多くの母親はこう言うものだとずっと思ってました。 つい先日、車中でのバックグラウンドミュージックにこれが流れて来た時、サトレラパパがフト言いました。 「この歌を聴くたび、お母さんの (私への) 思いを思い出すよ。」  あ、誤解ないように、私がゲイだと言う事ではありません😅🙅‍♀️ つまりサトレラパパが言ってるのは・・・ 私の母親が、冗談めかして私に言ってたこと。 「自分の娘じゃなかったら、友だちになってなかったと思う。」 って😅 普通に聞いたら、 「自分の子供になんて事を言う母親なんだろう!」 って思うかもしれないけれど、私はいつも笑って 「こう言う娘に育てなのは自分じゃないの!😜」 と言い飛ばしてました。 昭和に生まれ、明治生まれの母親と父親に厳格に育てられた私の

『許し』と『信頼』

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キリスト教の話ではありません✟ アメリカに移住して間もなく、サトレラパパが開設した武道場のホームページを見て訪ねて来たジャスティンは、隣り町で居合道を教えていました。そんな事から、年下とは言いながら、サトレラパパとも意気投合し、彼の奥さんのクリスティーナ、B神館で武術を学んだと言う彼の友人ケリーと私とランチミーティングなんかもしました。 そして、その後、3者共同で、道場を開設しました。 ただ、サトレラパパは正直言って、ケリーと一緒に事業をやるのはあまり乗り気じゃありませんでした。と、言うのも彼の 生きる姿勢が自分とはあまりに違う から。でも、ジャスティンがケリーとサトレラパパの間にいるから大丈夫だと言うのでスタートしたわけです。 ジャスティンの母親ルシンダは、人懐っこい人で、家族ぐるみで仲良くなりました。 そんな中、ジャスティンが違う土地で仕事をしたいと言い出して、サトレラパパは・・・ え”~~~!!! と言う感じだったそうです。ジャスティンがいなくなったら、道場の経営をケリーと二人でやって行かなくてはいかないわけです。 話が違うじゃん! でも、彼にも家族があるわけだし、収入が増えるとなれば、致し方ないですよね。 だけど、サトレラパパの思惑通り、ケリーは道場を真摯な気持ちで神聖な場所だとは思っていなかったようで、彼のクラス後の畳の上は汚れ、つばらしい跡まであるのを見て、注意をしたり何とかしばらくは我慢していましたが、結局、そこを後にしました。 ジャスティン一家が母親と継父のカールを残して、移った後も、私達は、ルシンダとカール夫婦とは親しく交流してました。 アメリカは、2月のアメフトの試合中継を、家族や仲間と集まってワイワイやるのが恒例らしく、私達もルシンダの家でワイワイやりました。 南オレゴンでは夏に色々な催し物があり、ルシンダの住む隣り街のダウンタウンでは、月に1度、第1フライデーナイトと言うのがあるんです。 その日は、いつもより閉店時間を伸ばし、みんながお店の品物をみたり、ライブを聴いたり、地元のアーティストの作品を眺めたり、食べたり飲んだり過ごす日です。私達もルシンダ夫婦と出かけました。街を歩き回った後には、お店に入って軽い食事とアルコールでおしゃべりをするんです。 うちの地元のイベントの 『EL