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サトリの思い出 誇り高きシャイロ・シェパード 前編

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この1週間近く、サトリの写真を見たり、サトレラパパと思い出話をしたりしてたら、キャスの事を 「サトリ」 だの 「サト」 だのと呼んでしまってる自分がいた😆 最後は前編と後編を持って『サトリの思い出』シリーズは終わります。 だから、最後は独断と偏見盛りだくさんの <シャイロ・シェパード サトリ> で締めたいと思います😑 どうぞ、呆れずに最後までお付き合いを・・・。 1)石 頭 『頑固』の意味の『石頭』ではありません。それもなきにしもあらずのサトリでしたが💦 犬の頭蓋骨は、🔨で叩いてもなかなか割れないくらい堅いそうです。それを証明してくれたのがサトリ😀あ、勿論、私たちがそれを試したわけではありません。 まさか! (参考写真) 猫🐱を見ると犬は捕食本能をくすぐられて追いかけたくなるようです。 サトリも御多分に漏れずそのタイプ😝 猫を見つけると途端に姿勢を正して耳をピンと立ててました。  ご存知かどうか・・・サトリとレイラの散歩は当時、自転車でした。サトレラパパと二人で出かける時はサトレラパパがサトリで私がレイラ。 その日は、近所のイタリアン専門のファミレスへ一緒に行ったのですが、突然横から飛び出して来た😺を見つけて、そり犬と化したサトリはサトレラパパの自転車を引っ張って走り始め、私たちより先に行ってしまいました。ちょっと先で自転車を止めていたサトレラパパたちに追いついたら、サトレラパパが ”信じられる?サトリはそこの電信柱に音が聞こえるほど 思いきり 頭をぶつけたのにまだ追いかけようとしてたんだよ!” と、目を丸くして語りました。「人間なら気絶するか、死んでるよ。」 さ~すがサトリ ・・・と言うか、 恐るべし犬の頭蓋骨! 2)ドッグランのお巡りさん サトリがいつものドッグランへ行くと、顔なじみの飼い主の方から 「サトリが登場すると一瞬、ランにいる犬たちに緊張感が走るのがわかるよね。」 と言われたことがあります。 そう、サトリはドッグランで遊ぶ・・・と言うよりそこにいる犬たちを監視して孤独でいる感じでした😅 だから、人は近づきやすいのか、私が知らないうちに勇気ある女性がサトリに抱きついてたこともありました。 そうやって、新しい犬や場の雰囲気を乱すような犬はいないかに目を光らせているのです。 何が基準になっているのか当時私にはよくわからない部分もありましたが

Happy moment💕

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サトリの思い出話最終回!と張り切っていたら、サトレラパパのお姉さん夫婦が訪ねて来たりしたので今日は書けませんでした😅 で、今朝、サトリの昔の写真を探しながらフト視線👀を感じたら キャスが、ジッとこっちを見ていました。 じゃ、ターニャは?と思ったら 黒くて見えないけれど、私が振り向いたからこっちを見てました😁 じゃ、レイラは? 寝てました😄 耳が良く聞こえないから、私が写真を撮ったりしてる音は聞こえないので仕方ない・・・. すっきりしてないお天気🌞の朝だったけど、コロナ騒ぎも、暴動も知らない こんな犬たちを見てると、 平和で穏やかでハッピーだな!😍 と思うのでした。 そんな訳で、サトリの思い出話最後は、明日だな・・・😌

サトリの思い出 その3 【強者だけど繊細なサトリ】

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サトリとの13年の思い出は一杯あるけれど、その中で今も時々フト思い出すもの・・・。 この『サトリの思い出』シリーズを読んでくれている友人がメールをくれました。 ”サトちゃんとお台場に行った時に、サトレラママが見えなくなるとずっと吠え続けていたことが昨日のことのように思い出されます。サトレラママとの関係が見えて印象的でした。なんて可愛いのかと。” まだ、1歳になる前でしたね。 9ヶ月だったかな? 友人と私の甥っ子とサトリとお台場へドライブ🚗したんですねぇ😄 私が、🚾へ行くんで二人にサトリを預けてその場を去り始めたら、サトリが吠える吠える。 『分離不安か?』 と、一瞬、気がひるんで、「一緒に連れて行くか・・・。」と言う考えが頭をよぎったのだけど、いや、吠えたからと言って戻るのも、犬に間違った考えを与えてしまうかとそのまま自分の用事を済ませてきましたが、ずっと吠えていたようで・・・😅 今回、友人からのメールに書いてあった ”サトレラママとの関係が見えて印象的でした。 なんて可愛いのかと。” どんな関係だと彼女は思ってたのか?🙄は、後に私が理解したのとは違う意味だと思うのだけど。私もその時は、 子犬の分離不安か ・・くらいにしか考えていませんでした。 しかし、成犬になってからも私がサトリを置いて行く形でどこかへ立ち去る時、必ず吠えてました😫 私のみならず、誰もが『分離不安症』かと思ったかもしれませんが、サトリの成長を見続けて来た私には、どうしても、分離不安とは違うような気がしていたんです。 そして、遂にシーザー・ミランを知ってから、これが何を意味するのかがわかりました。 つまり、私をコントロールしていたからなんですねぇ。 ”私をさし置いて何処へ行くんだ!!” が彼女の言いたい事だったんです。 それは、シーザーの番組、 ”Dog Whispere" を何話か見て、 ”これか!😮” と、目が覚めた気がしました。さすが、サトリ。5ヶ月から私を仕切ってたわけです😅 何しろ、離乳食を始めたその時に、食事をしてる兄弟姉妹をさしおいて、勝手に囲いから出てそこらを探索していた、と言う逸話があるのですから・・😆 その話を聞いた時は、まさかその子がうちに来るとは思ってなかった😅 初めての K9ゲーム に出た時も、 一人でどこ行くの? ダンスの種目が終わった後は、

サトリの思い出 その2+α【笑うに笑えない1歳の誕生日】

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『命日思い出話』の前のブログはサトリの1歳のお誕生日で終わりました。実はそこに続きがあるんです。 😊私が初めて作った犬用のバースデーケーキです🎂 とても喜んでくれたようです💖 テーブルの上にこぼれたものまで美味しそうになめ取ってくれました。 ところが!! 翌朝、サトリは、この状態になりました!😢 どう考えても昨日のケーキしかありません。ちゃんと、犬用の手作り本を買ってそれを見ながら作ったのに・・・。 何がいけないんだ? と思いつつサトレラパパと本をチェックしました。 ハイ!わかりました。 生クリームでした😱 そう言えば私の母親も生クリームを口にすると、その後はトイレ直行だったのを思い出しました。 その後は、色々な本で研究をしたからそんな馬鹿な事しないし、用心深くなりました。 一体あの本は、何を根拠に生クリームを材料に入れたのか? と、言う事で、初めての手作り食は失敗に終わりました😵 信頼出来ない本だと言う事で、 すぐに しました。 捨てる前に、出版社とか書き留めておけばよかった・・。 可哀想なサトリはその日1日、しゃがんでいる時間が多かったのです。 本当に可哀想な事をしました。でも、食べてる時は嬉しそうだった~~💕𝅘𝅥𝅰🎵𝅘𝅥𝅲 そう言う問題じゃないですよね😓 だけど、そこはまだ若いサトリ。 翌日にはケロっとしてご飯食べてました。 そう言えば、サトリには、こんな忘れがたい思い出がいくつかあるので、今度はそのお話をしようと思ってます。 昭和記念公園にて 1歳3ヶ月  まだまだ、子犬ですが、顔は一人前ですよね😆

サトリの命日 思い出2

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アメリカ時間の今日、6月9日はサトリが13年4ヶ月6日の生涯を終えた日です。13:12でした。 ここの所、天気が悪く、突風が吹いたり、☔が降ったり.。 寒くてストーブまで焚いちゃいました。折角、きれいにしたから使いたくなかったのだけど、天気予報によれば、その翌日も気温が5,6℃になりそうな感じだったので、ストーブを使いました。 南オレゴンの6月と言えば、もう焚火も禁止になるくらいの暑さなんですが、なぁんか今年は変です。 でも、サトリの命日はいつも🌞です。 サトリは自然死ではありません。 安楽死です。 食事はしてましたが、自分で歩いて用を足すことはもはや出来ませんでした。 サトリが亡くなる1ヶ月前位に、ターニャがやってきたんですよね。 ターニャは、シェルターで生まれた子で、ダッチシェパードのミックスとか言ってましたが、どうみてもラブにしか見えません😚性格も、ラブです。 ラブミックスですよね😉 この頃サトリは、いつも外の家の縁の下・・と言うかポーチの下にいたので、何日間か、ターニャが来たことを知りませんでした。 ある日、サトリが家の方へ来ようとした時に、ハイパーターニャがサトリに気づいたのをみたとたん、あのサトリがびっくりしたような顔をして(そう見えました)クルっと方向転換して逃げるようにいなくなったんです。 そんなサトリにびっくりしたのは私です😱 その時、思いました。 サトリは、もう昔のサトリではない 犬と見れば、耳を立て、胸をはって、目をこらして相手をみていたサトリです。 それが、子犬の元気なエネルギーにおののいたわけです。 自分はもう引退の時だと、悟っていたんじゃないのでしょうか。 だから、私も、きっと別れもそんなに先ではないだろうと察した一瞬でした。 この世と別れを告げる5日前 病院に着いた時、サトレラパパが駐車場からサトリを抱いて連れて行こうとしたら、サトリは千鳥足ながら自分で歩き始め病院へ入りました。 その時、片足は壊疽を起こしていて、歩けないはずだったのに、まさに 誇り高き犬 の姿を見た気がしてサトレラパパとびっくりして顔を見合わせました。 まぁ、それから、一応治療しましたが、このまま無理に生き永らえさせるのは可哀想ではないかと言う医師の勧めもあり、私たちもそれは覚悟していたので、もう1日だけ私たちと過ごす時間を設けて翌日に安楽死をさせることにし、

サトリ週間 サトリの思い出 その1

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コロナ騒ぎと雑草バトルで、忙しいような忙しくないような毎日で今日まで来てしまったけど、6月9日はサトリの命日。もう4年になります。 写真を眺めながら、この1週間はサトリの思い出話をブログにしたためてみようか・・・なんて思ってたのだけど、写真をみつくろう間がなくてここまで来てしまいました。 サトリのホームページからずっと読んで下さってる方には またか!!読む前からわかってるよ😩 と言われちゃうかもしれないけれどね😆 あまり使ってなかった写真をも入れてみますから😁 サトリは、 シャイロ・シェパード(Shiloh Shepherd Dog) 。 当時 (2003年)は日本では名前を聞いたことのない人が多かったです。 なぜ、そんな犬種を選ぶのか? つまり、大型犬と暮らしたい私の希望で、サトレラパパが選ぶ基準を提示したんです。家庭向きで、人に友好的・・・って言うので色々リサーチして、シャイロに決めたんだけど、うちに来たサトリは 、 なんか、ちがうんでねぇ❓ の印象でした。でも、 『犬種図鑑』 みたいなのに書かれているのって、結構実際と違う所ってありますよね。牧場育ちで、犬は勿論色々な動物を見て来たサトレラパパもシェパードは初めてだったので、そんなもんかと納得してました。 生後3か月位のこの子が可愛く見えるかどうかは知りませんが サトリのブリーダー(" Miracle Shilohs ") Janが日本へ自分の犬を輸出する事に興味を持ってくれ、サトリは4ヶ月で来日しました。 Janはそれ以来の友人です。 当時は日本の検疫も今とはやり方が違っていたので現地で狂犬病の注射が終わればすぐに来日出来ました。つまり4ヶ月で子犬は日本へやって来られました。 ただし、日本に着いたら 2週間の検疫所待期期間 がありましたけど。 だから、立川の家から成田まで3回面会に行ったかな?成田空港からちょっと離れた辺ぴな所にありましたっけ😌 私も、フルタイムのOL時代だったから、それが精一杯の訪問でした。 シャイロの子犬は検疫所のスタッフたちにも初めてだったせいか、よく可愛がってくれてました。 中でもサトリの 一番のお気に入りは この男性スタッフ。 私が面会に来たので気を利かしてくれてか、中へ入って行き、右で女性スタッフがおもちゃでこっちに来るように誘っているのにサトリは無視!

暑い夏の始まりの予感・・・

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今日はストロベリームーン と言っても こんな月があるわけじゃありません。昔、ネイティブの人たちが イチゴ 🍓 最盛期の6月に見る満月を 「ストロベリームーン」 と呼んだのです。農業に携わる人たちは、この頃から夏本番の暑い日がつづくようになる、と言う事で農作物に水やりを始めたりするわけです。それぞれの月の満月にはこのような呼び方があるそうです。 が、今年は何か変です。5月母の日を過ぎてからトマトの苗を植えるのがここらの伝統なのですが・・・。つまりこの日を境に寒さが薄れ晴れのいいお天気が続くのです。 でも、天気予報明日明後日は雨☔です。 しかも、まだ10℃を下回る日もあります。 だけど、我が家のイチゴ・・・ イチゴ畑です。こんもりしてます😃 確かに、赤く色づくのが早くなりました。 「イチゴ狩り」 とか 「リンゴ狩り」 って言うけれど、日本では『狩る』なんて必要なくきれいに実が目の前に生ってますよね😀しかし、我が家の場合は本当に、この『密林』の中から葉をかきわけかきわけイチゴを探さなくてはいけないので、文字通りの『いちご狩り』の気分になります。 急に摘み取るイチゴの数が増えたので、 ジャムを作りました。 アクが取り切れてませんでした😆 サトレラパパが私のアク取りの様子を見て、 「アメリカじゃ、誰もそんなことしないな!」 とボソっと言ってましたが、アクを取った方が味は確実によくなるそうです。 以前、カレーを作るのに、アクを取るチームと取らないチームの実験をした記事を読みました。やっぱりアク取りをしたチームのカレーの方が断然美味しく感じたそうです。 久々の外出に嬉しそうなレイラ