喪明け
レイラの一周忌 思い返すと、私がレイラといた時間は、サトリよりもず~~~っと長く、ある意味深いつきあいだったんですねぇ🤫 勿論、サトリは13歳で命を終えたわけで、15年で命を閉じたレイラとは2年間の差があるわけだけど、そう言う計算上のものではなく、実際に一緒にいた時間は長かった・・・。 サトリがカナダから来た時は、私はまだ、バリバリのOL時代を送っていたんです。 適当なOLの無料素材(みんなカッコよすぎ😅)がなかったので。 で、サトレラパパと言えば、パートで掛け持ち英語の先生をしていて、大体夕方には家に帰り、子犬だったサトリと多摩川の河川敷で他の犬仲間と時間を過ごしたりしてたようです。 パパと多摩川へ しかも、サトレラパパは、教師だから、春休み、夏休み、冬休みがあって、私は帰るのは、早くて午後6時半過ぎ。月に数回は残業や、会社でのお付き合いもあったりして サトリの子犬時代って正直よく知らない んです。 だから、当然、名実ともに 『アルファ』 タイプのサトリになめられても仕方なかった・・・と今思うんです😓 レイラは、と言えば、1歳になる前に、 レッグペルセス病で手術 をした後、お台場の大江戸温泉まで、ハイドロセラピーのリハビリに週に1回通ってました。 サトレラパパも応援訪問 その後、退職した私は、サトリと始めたイアン・ダンバー博士考案の 『K9ゲーム(K9Games)』 なのですが、サトリは全くそう言うものに興味がないのがわかったので😩、2回参加したあと、レイラにバトンタッチで、それ以来渡米前まで5,6年やりました。みんなとの練習、合宿・・・と楽しかったです。 その頃は、サトレラパパも契約教師になって忙しかったので、時々はサトリも連れて行きましたが、練習は、レイラだけで行く事多かったです。(当時、車ないからサトリの時は、心優しい友人が・・・サトリの幼馴染KHANのパパとママです・・車を貸してくれましたが、レイラになってからは電車で通えました👍) レイラとサトリは多摩地区でJAHAのCAPP活動もしてました。 レイラは、障害者施設で聞こえる奇声や、慣れない物音、又小学校の子供たちにストレスを感じると思ったので、もっぱら高齢者施設での活動でした。 CAPP活動 これも、月に2,3回ある時もあったので、レイラをシャンプーしたり、施設でトリッ...