去る者追わず 人の心理(1)


友人の息子さんが30歳の誕生日だと言うので、そう言えば 彼が子どもの頃の写真がどっかにあったな、と思いつつ色々な写真を眺めてたら懐かしい写真が沢山出てきて寄り道をしてしまいました。

そこには、ある時期の写真にいつも一緒に写っている友人がありました。
でも、その後の写真には彼女はもはや一緒にいません。
怒りと失望の気持ちを抱きながら去って行ったのだと思います。

Oとしておきましょう。彼女を通じて知り合ったK と3人は気が合って一緒に旅行をしたり、出かけたり楽しい思い出を数年間作りました。私が働いていた会社の派遣社員として働いてもいたので、時には会社の同僚の Hさんも一緒に、ということもありました。
そんな友情がどうして壊れたのか?
私が言った一言です。
はっきりとは覚えてないのですが、何かに対してその場でとった彼女のリアクションに、

「そうだよね。(Oは)そう言うのが嫌いなんだよね。」
と言った途端、彼女の血相が変わって

「私の事をそんな風に思ってたの

と私を見たんです。私は何も悪気はなく、『そんな風に』感じてたから言っただけなのだけど、彼女はそれが相当気に入らなかったらしく、その日、ずっと私を無視で、一緒にいたKは事の成り行きにどうしていいか困った様子だったのを覚えています。

それから、Oとは縁が切れました。去りゆく者を追うのは私の信条ではないので1、2度関係修復をしようと努力した後、彼女にその気がないのがわかったのでそのままにしました。だって、残念だけれど、去りたい者を力づくで押しとどめることは出来ないでしょう?
Kとは友人関係を続けたかったらしく頻繁にOは連絡を取っていたようですが、Kも昔のOと変わってしまったと感じて、何回かコンタクトを取った後、Kの方からコンタクトを止めたい旨を伝えたようでした。
Kは今も『古い付き合い』の中の私の大事な友人の一人です。

これには後日談があって、Oと付き合わなくなって10年 以上たってたんじゃなかったけかな?Oと知り合うきっかけとなった団体の同窓会みたいな集まりで、彼女を見かけたのです。
あちらも私に気づいているのに無視を決め込んでいるのがありありとわかりました。
そんな態度に私はちょっとびっくりしました。『今まだ、彼女の中では続いているんだ。』と思いましたがそこはこちらから『大人』になったつもりで、すれ違った時に
「お久しぶりです。」
と言ってみました一言返事はあったけど、なんて言われたのか覚えてないな
でも、そのそっけなさは覚えてますよ。今もしっかり・・。
びっくりするより、何より彼女があまりに大人気なくて苦笑いしちゃっいました
周りにいた友人たちも彼女の私に対する態度を見て、びっくりしてたけど・・。
ま、しょうがないですよね。

なんで急にこんな話をしてるか・・・。
実はここしばらく、サトレラパパと彼の家族間でゴタゴタがあって、そう言う言動を起こす人の心理を知りたくなって、心理カウンセラーの動画を頻繁に観てたら、フト彼女を思い出させるカウンセラーの話にぶちあたり、謎が解けたような気がしたからです。

彼女は、所謂 心理学的用語を使うと【ナルシシスト】なんじゃないかと思います。
ナルシシストには二つのタイプがあって、ちょっとシャイで自分に自信が持てず、この弱さが時と場合によって守りの態勢になったり、怒りになる『内潜的ナルシシスト(Covert Narcissist)』と攻撃的で、自分の権力を拡張したり、搾取的であったり、極めて誇大妄想的で自分に注目をして欲しい『顕在的ナルシシスト(Overt Narcissist)』 と言うのらしい。
Oは、とても外見を気にしていて、人に良い印象を持ってもらうために随分努力をしていたようです。小さい頃、両親からお姉さんと比べられて、自分はいつもいい子でいなくてはいけないと言う意識を持っていたと言ってました。

内潜的ナルシシストだったのかもしれません。
笑顔が素敵で、気遣いが出来て秘書的な仕事が得意だった彼女が変わったのは、どうもその当時付き合っていた人の影響もあるらしいのを後で人から聞いたのですが。
そう考えると、すべてが見えてくる気がします。

今は彼女はどうしているんだろうか・・・。と時々Kと話すのですが・・・。


我が家の秋とカスティエル事”キャス”です。









コメント

ハナミンママ さんのコメント…
久々にこちらのブログの方にやってきて、クール?なサトレラママにもこんな友人関係のトラブルってあったんだな・・・なんて思ってしまいました。
私も自然と遠ざかってしまった友人達は沢山いますが、自分で切った友人、あるいは切られた友人のことはよく覚えています。自分で切った友人のことは今から考えるととってもおこちゃま的な感情にとらわれていたのかな・・・なんて思います。今だったら意識的に距離を置くとかで回避し、まあそれでも接触してしまったなら普通に大人の振る舞いをするだろうな・・・なんて思ったりします。切られた友人達の方は、間に別の人が介在していて、その人と私の間がうまくいかなくなって、共通友人が相手方に味方した結果なので、やはり去る者追わずですね。少なからず心は傷つきましたが、いつまでも引きずっていても仕方がない。
でも人を憎んだり嫌ったりする気持ちを、持ち続けていられるってある意味情熱的だとおもいません? 私にはとてもそんな根気は無いです。
サトレラママ さんの投稿…
ハナミンママさん
コメントありがとうございました。
私、クールですかね?😅
色々ありましたよ。精神的に悟ってないこと一杯ありましたから。
今はそれに気づいていつも安定した気持ちを保てるようにメディテイションしたり、森の中を歩いたり、修行してます😆

ご自分の体験を話してくださってありがとうございます。
最近のブログにも書きましたけど「人生修行」ですから・・。
色々あるけれど色々あって悟っていくんだと思います。
犬を飼うのもそうだと思うけれど、サトリのように難しい性格の犬と暮らしたおかげでサトリを理解したいというところから『犬』と言う生き物をもっと知りたいと勉強することになりましたから。

ハナミンママさんのおっしゃることも興味深いですね。
【人を憎んだり嫌ったりする気持ちを、持ち続けていられるってある意味情熱的】
そう言うとらえ方もあるかもしれません。でも、私はその情熱やエネルギーを他の物に向けるような生き方をする方が短い人生、もっと開けて楽しくなると思ってるんです。私も以前、恨みに思ってた人いました。でも、ある時からその気持ちをやめました。人を嫌ったり憎み続けるのは悲しいことです。
おっと、この辺でストップしないと長くなるのでやめますが、人間関係についてはまたブログに書こうと思っているのでまたブログ訪問して下さいね。

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