お盆ですね🍆🥒

お盆

日本は、もう15日だから送り火を焚く日ですね。
そして、終戦記念日・・・ですね。
海外に住んでても・・と言うか海外に住んでると日本では当たり前であまり気にかけていなかったことが大きなこととなりますね😊
 
今年は、サトリの没後7回忌だし、レイラとペーハの没後3回忌。 特に、サトリがいなくなった2016年には私の大事な人があいついで他界したので、私が生まれて初めて鬱になった記念の年でもあります。
幸い、薬がすぐに効いたので長い間患わずにすみましたけど😁
 
鬱って、ホントに人に言われるまで…私のケースはサトレラパパに言われるまで・・・自分じゃ気づかないんですよね。認めたくない・・・と思う人はまだ『鬱』になりきってないのかもしれないと思います😄
なんて、今じゃそんな事言って笑ってますけど・・・。
 
2016年まず旅立っていったのは、サトレラパパの従妹の息子のイーサンは享年11歳での急死です。
誕生日の祝い🎂をしたその夜に気分が悪くなり、そのまま意識がなくなり脳死を宣告で、結果両親は彼の臓器提供を決意したわけです。動物が好きで、将来獣医になりたいと言っていたので、期待してたんですけれどね🥲本当に残念です。その後、もともと色々な家庭事情があったイーサン一家、サトレラパパの叔母さん一族は、家庭崩壊の状態になってしまいました😌
イーサンが家族をつないでいたわけです。

Ethan
イーサン(Ethan) 

その次の訃報が、私の父の従弟になる肇叔父でした。
彼は、某大学で教鞭をとっていました。
年に一度、親族一同が集まる会があり、何年かに1度は、先祖が祀られている神社や、所縁のある土地を巡るツアーなんかもやってました。私が初めて父に連れられて行ったのが、当時親類の中の長老だったんでしょうか、車椅子の生活をしていたご婦人の家でした。当時は私はまだ若くて、お歴々の方々とはあまり口を聞くこともなかったのです。
広島に住んでたこともあり、何年も欠席してましたが、久々に会に参加するようになって、肇叔父の気さくな奥さん、多賀弥叔母と言葉を交わすようになり親しく話すようになりました。
そんな叔父でしたが、血筋でしょうか、父方の親類はみんな酒飲みです。そんなことからか、彼は糖尿病を患っていました。でも、叔母さまがとてもよく面倒をみていて、それでも80代まで生きられたのだから寿命と言ってもいいですよね。
 
肇叔父様
写真撮られるときは笑顔が作れない叔父でしたが貴重な1枚

そして、次が言うまでもない我が家の抜群の存在感だったサトリ。
彼女の事は、耳にたこ・・・いや目にたこが出来るくらいここのブログで書いてきたので😂簡単に・・・
サトリは安楽死でしたが、私たちに後悔はまったくありません。
苦しんで痛みと闘いながら、サトリが私たちの為に生きることを望みませんでした。
最後まで誇り高いシャイロでいるのが彼女の生き方だ、と伝わってきたから。
一緒に長い間暮らしていれば、誰しもそのサインをキャッチ出来るでしょう?
 
で、私のお気に入りの写真と
 
サトリとKHAN
弟分のKHANと
*写真クリックで拡大出来ます😊) 

サトリのアップを・・・❤️

サトリアップ
昭和記念公園サトリ1歳9ヶ月*これもクリックで拡大出来ます😊)
 
最後のとどめに来たのが、私が留美姉さんと呼んでいた留美ちゃん。
彼女とは、OL時代の同僚でご主人を亡くされてから同じ会社で働くようになり、それから退職後もずっと何かあれば他の友人も一緒に3人で食べたり飲んだり笑ったり…楽しい時間を過ごしました。
彼女とは、私が退職する間際、私が仕事上での彼女のやり方に腹を立てて、しばらく会いませんでした。
そんな時、私が退職してから、彼女が、「私があんなことしたから、Tちゃん(私の事)怒らせちゃったけど。今も怒ってるのかな。」と思ってるらしいのを風の噂で聞いて、びっくりしました。
だって、あれは仕事の上での出来事で、確かに彼女がしたことは私たちの部署にとっては好ましくないことだったけど、会社をやめたら、もう私は、関係ないですからね。私は留美ちゃんが、私を避けてると思ってたので急いで仲直りしました。
2016年、4月、私が一時帰国した時に会いたかったのですがその前から癌を患っていて気分がすぐれないから、次の一時帰国までにきっと良くなるからね、と言うメールが彼女からの最後の言葉となりました。8月でした。
 
留美姉さん
もうこの世界にいないから顔出してちゃうよ、留美ちゃん

 
 
御三家
最後はまたまた私のお気に入り
三人三様で個性一杯だった我が家のパック *クリック拡大OK


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