親の愛① ”No Matter What” 

”例え何があっても”

”例えどんなであっても ”

が和訳になります。
 

カルム・スコット(Calum Scott)と言うイギリスの歌手が歌っている ”No Matter What” を聴いた事ありますか?私の好きな曲のひとつでもあります。

 

ゲイである彼が自分自身を受け入れていくまでの辛い思いを歌っています。
意訳をすると、

 No Matter What

”自分が (ゲイじゃないかと感じる事に) 恐怖を覚えた子供時代、
母親の反応が怖くて告白するまでに時間はかかったけど
母親は

「あなたがどうであっても、愛しているわ。」

と言ってくれた。

でも、信頼していた友人に自分の事を話したら
変人扱いされ、自分の傷ついた心を察した母親がしっかり抱いて

「自分を変えようと思わないで。なんであろうと、あなたを愛しているわ。」

と言ってくれた。

大人になって、自分がどう対応したらいいか理解出来るようになって
愛をみつけもしたけれど、まだ、ひとつ欠けているものがあった。

(でも)ある日、父親が言ってくれた。

「お前がどうであっても、そのままのお前を愛している。」

父親も母親も自分を愛してくれている。”

 

これは、数年前に発表された歌ですが、多くのゲイの人たちに勇気や慰めを与えてくれたようです。
何かこのミュージックビデオと歌が気に入って今もよく聴いています。
世の中、全ての母親が同じ思いではないとわかってはいるけど、私は自分の息子がゲイであっても、ニューハーフでも、きっとこの母親と同じ気持ちだろうし、多くの母親はこう言うものだとずっと思ってました。

つい先日、車中でのバックグラウンドミュージックにこれが流れて来た時、サトレラパパがフト言いました。

「この歌を聴くたび、お母さんの(私への)思いを思い出すよ。」 


あ、誤解ないように、私がゲイだと言う事ではありません😅🙅‍♀️
つまりサトレラパパが言ってるのは・・・

私の母親が、冗談めかして私に言ってたこと。

「自分の娘じゃなかったら、友だちになってなかったと思う。」

って😅

普通に聞いたら、

「自分の子供になんて事を言う母親なんだろう!」

って思うかもしれないけれど、私はいつも笑って

「こう言う娘に育てなのは自分じゃないの!😜」

と言い飛ばしてました。

昭和に生まれ、明治生まれの母親と父親に厳格に育てられた私の母は、結婚して、夫・・つまり私の

アメリカ飛行機
父親の赴任先のアメリカに住んだ時、のびのびしていて、さらにマナーが良く、大人ともちゃんと話が出来る子供たちに出会って『目からうろこ』の気がしたそうです。それで、自分の娘・・・私👧・・・がそのように育って欲しいと思いつつ、育てたそうですから・・。
だから、ある意味理想の子供に育ったのでしょうが、それイコール、自分にはない感性を持つ子に育ったのを感じるたび、ついていけない自分もあったんじゃないかと😂・・・聞きたい母が亡くなった今はただ、母の言葉から分析するだけですが・・・。自分で育てたのにね🥳

母に「友達にはなれないタイプ」と他人事のように言われても、私が笑ってられたのは、母が何を言おうと、自分を愛して、守ってくれている、と言う実感があったからだと思います。そうでなかったら、自殺もんですよね😅

サトレラパパにも、以前そんな話をした事があったから、あの歌を聴くたびに、母と私の関係を思い出すんだと思います。
そして、残念な事に、サトレラパパの両親・・・特に母親がそう言う人でなかったから・・・いえ、そう言う人でないから(まだ生存中だから・・・😓)だと思います😔

と、この話は、後日に続きます・・。

 
 


キャス休憩中
久々にキャス😘


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